0043 イーグルスのカラー(2016.01.24.

年明け早々、まさか2週続けて好きなミュージシャンの追悼文を書くことになるとは思っていなかった。デヴィッド・ボウイに続いてイーグルスのグレン・フライの訃報が飛び込んできたのは、1月19日の朝だった。日課のインスタグラムやツイッターのアップを終え、連動しているフェイスブックで確認作業をしているときだった。信じられない思いは瞬間だったが、即座に「今後はミュージシャンの訃報に多く接することになるのか」という思いがムクムクとこみ上げてきて、思い切り寂しくなってしまった。自分が長年聴き続けてきたミュージシャンは皆高齢になっているはずだ。仕方がないのだ。

 

自分とイーグルスの出合いは小学校6年生のとき、ラジオから流れてきた「魔女のささやき(Witchy Woman)」である。一発で魅せられた。それまでに聴いたことのないダークな雰囲気とドン・ヘンリーの声、流麗なコーラス、全てが完璧なバランスに思えた。直ぐに7インチ・シングルを買わねばと思い立ったと記憶している。LPではなくシングル盤でいいと思ったことまで憶えている。かなり早いタイミングで購入した一枚だから、毎日数回、しばらくの間聴き続けた。まだ所有しているレコードが少なかったので、ヘヴィー・ローテーションにならざるを得ないわけだ。この時点で、自分の中でのイーグルスは、ちょっとダークなカラーを持ったバンドとしてイメージが確立してしまったのだ。

 

音楽の話ができる友人は限られていたが、「魔女のささやき」を買ったということを誰かしらに話したとき、「あー、テイク・イット・イージーの人たちだね」と言われ、その曲を知らなかった自分は「そうなんだ」としか返せなかったことまで憶えている。相手が誰だったか思い出せないが、その会話自体は鮮明に記憶している。ラジオでもこの曲を紹介するときに、いつも「テイク・イット・イージー」について触れられていたように思う。その曲は、全く好きなカラーの曲ではなかったし、とても同じバンドには思えなかったのだ。

 

月日が経ち、次にイーグルスを意識したのは3年も経ってからのことだった。「呪われた夜(One Of These Nights)」が大ヒットしたとき、自分の大好きだったイーグルスが戻ってきたような感覚で聴いたものだ。その前年に「我が愛の至上(The Best Of My Love)」が大ヒットしたが、やはりさほど惹かれなかった。2枚目、3枚目のアルバムを購入したのは、ずっと後になってから、CDがLPにとって代わった頃である。4枚目のアルバム「呪われた夜」は、タイトル・チューンからスタートするA面の1曲目から2曲目「トゥ・メニー・ハンズ」への流れが何とも言えず好きだった。その頃からメンバーのクレジットを意識するようにもなっていたので、ランディ・マイズナーという人間の音源は全てフォローするようになった。如何せん素晴らしいコーラスだった。

 

そして翌年、まさかの出来事が起きた。イーグルスにジョー・ウォルシュが加入したのだ。そして新体制で作られた新盤「ホテル・カリフォルニア」は、確かに70年代を代表する大名盤だ。曲も好きならジャケット・デザインも大好きだった。しかし、それ以上に、ジョー・ウォルシュのギターが聴ける盤であることが、自分にとっては意味を持っていた。大好きな「ロッキー・マウンテン・ウェイ」のあのギターがイーグルスにくっついたのだ。これは嬉しかった。しかも「駆け足の人生」という、いかにもジョー・ウォルシュのギターといった音の曲も収録されていた。彼に関しては、1978年の「ロスからの蒼い風(But Seriously, Folks...」に収録された「この人生に賭けて(Life’s Been Good)」を聴いたとき、真面目過ぎるイーグルスの面々と上手くいってないのかなと心配になったことを記憶している。

 

「ホテル・カリフォルニア」を語るとき、いつもカリフォルニア幻想などと言われ、サイゴン陥落やオイルショック後のアメリカの現実とあまりにかけ離れたカリフォルニア・ドリーミング的ノーテンキさを反省(指弾)するかのような話題がついてまわった。世代的にアメリカの大きさや強さを見せつけられるような教育をうけ、フェンスの向こうのアメリカに憧れながら育った極東のこぞうは、この歌詞を持て余した。現実にはカリフォルニア・ドリーミングも知らなければ、ヴェトナム戦争後の悲惨な現実もよく見えていなかったのだから仕方がない。自分にとっての「ホテル・カリフォルニア」は、ギターのかけ合いが格好いい曲というだけだったのである。

 

その次のアルバム「ロング・ラン」は、何とも暗いイメージがつきまとった。ジョー・ウォルシュの色でないことは明らかだったので、これが70年代の米国を代表するソング・ライティング・チーム、グレン・フライとドン・ヘンリーの色だと思っていた。その後の2人のソロ・アルバムは、はっきり色が分かれた。真面目なドン・ヘンリーはその路線を突き詰めていったが、グレン・フライは昔聴いて育った古きよきアメリカの音を再現したかのようなアルバムを作ったからである。自分はグレン・フライのスタンスを支持するが、大ヒットしたドン・ヘンリーも認めないわけではない。いずれも素晴らしいアルバムだった。結局のところ、イーグルスの面々がつくるソロ・アルバムは全てが一定以上のクオリティを持っていた。その中で微妙に違う色が示されていることが、興味深くもあり、自分が洋楽を突き詰めていくことにも繋がったように記憶している。この連中にはいくら感謝しても足りないのだ。

 

有り難う、グレン・フライ。R.I.P.

 



         
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