0048 「憧憬1973」準備中(2016.02.28.

清澄白河でカフェを開業して早や1年、音楽やレコードを売りにするつもりはなかったと言いつつ、レコードを持ち込んで夜な夜な音楽好きが集まってくるようなカフェという性格も持ち始めてしまった上に、ショップ・イン・ショップ形式で7インチ盤専門店まで始めてしまった。音楽を売りにするということは、自分がカフェに居なければならなくなるということで、本来は避けたかったところでもあるのだが、強みは生かさないでどうする。その一方で、こんなことをやっていれば、やはり共感してくれる人間が集まってくる。自分がフルタイムでいなくても運営できているのは、音楽好きのスタッフがいるおかげでもある。実に有り難い。

 

さて次のステップは、と考えたとき、やはりライヴかDJイベントかということになる。昨年11月に常連さんのお知り合いのジャズ・シンガーにアコースティック・ライヴをやってもらったことはあるが、あまりライヴ向きのハコだとは思っていない。DJイベントはいけるかなと思ってはいるが、ターンテーブルは1台でホーム・オーディオ的に鳴らしている。これにも理由があって、やはりミキサーを通したクラブDJ的な音が好きにはなれないのだ。トーク中心にしてターンテーブル1台でレコードを取り換えるオーディオ・イベントの方が好ましい。曲を上手く繋ぐことと音質的な側面とでは、後者を重視するというわけだ。そんなわけで、とうとう重い腰を持ちあげて、自分のトーク・イベントを始めることになった。やはり昨年11月に開催された青山レコード祭りでもオーディオ・イベント的なスタイルでやっているのを目の当たりにして、これならいけるなと考えた次第である。

 

カフェのお客様からも要望は何度もいただいており、近いうちやらないといけないなとは思っていたのだが、忙しさに流されてなかなか始められないでいたのだが、コレコ屋をオープンさせたからには、少し営業的な意味もこめて、ここがスタート地点でいいかと踏ん切りがついたのである。本来ならお客様の入りのことを考えて平日夜の時間帯でやりたいところなのだが、皆さん忙しいのか、「7時半か8時スタートなら…」という声が多く、まずは「土日でやってくれ」という要望に応えることにした。土曜日の第一回の様子も見て、できることなら同一内容で、平日夜間の回もやってみたいと思う。問題はスタッフが確保できるか、遅い時間帯にどこまで大きな音が出せるか、といったところか。

 

また自分がやるからには、普通のカフェDJ的なものにする気はない。トークの内容も、時代背景から説き起こし、当時の空気感を伝えられるような内容にできればと思う。資料もそれなりに用意するつもりなので、明らかにDJイベントとは違うものである。またアナログ・レコードをウリにしているカフェでやるからには、アナログのみでどこまでできるかということにもなる。少しはプロジェクターなども活用して、できるだけ面白いものにするつもりだ。前回ご紹介した通り、第1回のお題は「憧憬1973」とした。まずは最も好きな時代、最も馴染みのある曲でスタートしようというわけだ。順に年を追っていくのも面白いだろう。やり易い年から順にということで、前後しても構わないだろう。いずれにせよ、ネタに困ることはない。

 

自分にとって、1973年という年は、やはり特別な年なのだ。13歳、中学1年生という年代だが、この頃から思い切り音楽にハマって行ったので思い入れも強いのである。バスケットボールの練習に明け暮れていたとはいえ、妙に冷めた目で世の中を見据えていた、かなり偏屈な子供だったという自覚はある。前年の2月に起きた浅間山荘事件が自分にとっては、社会に目を向ける大きな変節点になったことは確かで、そこからしばらくは親に対して「どうして?どうして?」の質問攻撃をしかけていたようにも思う。その当時、母親は呆れていたが、父親はかなり丁寧に様々な社会問題などを解説してくれたように思う。どんな番組で誰が話していたかよく思い出せないのだが、当時のラジオ番組も、単に音楽を聴かせるだけではなく、曲が持つ背景やミュージシャンの訴えていることに言及していたように思う。如何せん、インターネットも無い時代、主要な情報源は新聞や雑誌といった時代だ。不思議とテレビは重要な情報源とは感じていなかった。

 

13歳の自分が、ソウル・ミュージックから当時の公民権運動の有り様まで知り得たわけではない。それでも、単にソウル・トレインを観て、踊って楽しんでいるだけとは考えていなかったことはよく憶えているし、カーティス・メイフィールドたちの強い意志やメッセージは子供なりに理解していたと思う。ソウル・トレインのテーマソングもやっていたMFSBが、前年に公開された映画「スーパーフライ」のサントラ盤に収録されていた大ヒット曲「フレディズ・デッド」をカヴァーしていた頃、いろいろなミュージシャンがカーティスの活動を称えるコメントを流していたことが、脳みそに深く刻まれている。1973年という年は、自分にとっては忘れようもない自己確立の年であり、音楽を一生の趣味として聴き続ける覚悟ができた年なのである。まずここから始める大きな理由が、自分にはあるのである。

 



         
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