0059 「知足1975」終了(2016.05.14.

音楽とトークのイベント「知足1975」の1回目が終了した。今回も1975年のヒット曲や1975年にリリースされた曲をかけまくったわけだが、正味3時間とはいえ、1時間前からお客さまが入り始め、終わってもしばらくは談笑しながら続けているので、実際は4時間以上しゃべっていることになる。普段あまりしゃべる人間ではないので、毎度イベント後は喉に疲れを覚えることになる。それでも楽しいので、まったく問題はない。今回も準備段階では、自分がいかに昔から音楽好きだったかを再認識するような作業になった。かけたい曲をリストアップしたら、50曲を超えることになってしまった。時間的には30曲程度しかかけられない。困った、困った。

 

イベントが始まる前も75年にこだわり、グランド・ファンクの「バッド・タイム」やミニー・リパートンの「ラヴィン・ユー」、アメリカの「金色の髪の少女」などを流していた。続いてレッド・ツェッペリンの「フィジカル・グラフィティ」から数曲聴き、ドゥービー・ブラザーズの「テイク・ミー・イン・ユア・アームス」まで聴いたところで本編スタートである。今回の1曲目はエリック・クラプトンの「揺れるチャリオット」と決めていた。レゲエに拘りを見せ、ジャマイカ録音までして作ったこの曲が大好きだった。レゲエ繋がりで、2曲目はスティーヴィー・ワンダーの「レゲ・ウーマン」である。米国では大ヒットしているのに、日本では「1000億光年の彼方」のB面にされてしまった曲である。なかなかいい音で鳴る盤である。

 

ここからはガッツリ作り込んだ資料を見ながらビルボードの年間チャート上位曲を続ける。1位キャプテン&テニール「愛ある限り」、2位グレン・キャンベル「ラインストーン・カウボーイ」、3位エルトン・ジョン・バンド「フィラデルフィア・フリーダム」である。エルトン・ジョンのアルバム「キャプテン・ファンタスティック」は、史上初の初登場第1位を獲得した盤だ。アナログ盤はメタル・マザーの劣化等の問題もあり、一気に多くの枚数をプレスできないので、これは本当に凄いことなのである。その一方で、フリートウッド・マックの「ファンタスティック・マック」は58週かけて1位まで上り詰めるという最も時間がかかったナンバー・ワン・アルバムなのである。ここからは大ヒット曲「リアノン」を聴くことにした。実にいい曲だ。続けて日本人代表はダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」、風「22才の別れ」の2曲である。「港のヨーコ~」はエポック・メイキングな曲の作りに加え、実にいい音で鳴る。これも元はB面曲だ。「アンタあの娘の何なのさ」、懐かしいフレーズだ!

 

さらに英国ロックの名曲を続けることにした。ジョン・レノン「スタンド・バイ・ミー」、デヴィッド・ボウイ「フェイム」、ウィングス「ワイン・カラーの少女」、レッド・ツェッペリン「トランプルド・アンダー・フット」、ジェフ・ベック「哀しみの恋人達」、リッチー・ブラックモアズ・レインボー「銀嶺の覇者」、10cc「アイム・ノット・イン・ラヴ」、クイーン「キラー・クイーン」といったところだ。語ることが多い部分でもあったが、70年代を代表する名曲群である。実に素晴らしいラインナップだ。またデヴィッド・ボウイの先進性を再認識することにもなったように思う。一方、アメリカン・ロックも多くの名曲が生まれた年だ。イーグルス「呪われた夜」、ドゥービー・ブラザーズ「ブラック・ウォーター」と聴き、ここからディスコ・ブームについて少々語り、ビー・ジーズの「ジャイヴ・トーキン」、ヴァン・マッコイの「ハッスル」を聴いた。時代の流れを変えたとも言うべき重要曲と考えている。

 

その後は、強く印象に残った曲、好きな曲をランダムにかけさせてもらった。オーリアンズ「ダンス・ウィズ・ミー」、ハリー・チェイピン「ゆりかごの猫」、オザーク・マウンテン・デアデヴィルズ「ジャッキー・ブルー」、アメイジング・リズム・エイセズ「サード・レイト・ロマンス」、マイケル・マーフィー「ワイルドファイヤー」、シュガーローフ「ドント・コール・アス」、エース「ハウ・ロング」、リンダ・ロンシュタット「悪あなた」、サイモン&ガーファンクル「マイ・リトル・タウン」といった曲群である。カントリー寄りの曲を集めたが、クラブ・サーキットで人気がありそうなところとでも言おうか。今現在に至る自分の好みを形成した曲群でもある。

 

今回トリに持ってきたのはシカゴの「拝啓、トルーマン大統領」である。また1975年にはダニー・オキーフも「ソー・ロング、ハリー・トルーマン」というアルバムをリリースしている。ルーズベルト大統領の死を受けて、副大統領だった彼が第33代大統領に座ったのだが、時は1945年、つまり太平洋戦争の最中である。言ってみれば原爆投下を命じた人物ということになる。1972年12月に亡くなっているが、シカゴは実にシニカルな歌詞で、「どうしてアメリカはこんな国になってしまったんだ、即断即決のトルーマン大統領よ、何とかしてくれよ」という嘆きを歌にしている。ウォーターゲート事件の後でもあり、国民に嘘の情報ばかりを提供していた政府に対する強烈な一撃を打ち込んだ一曲というわけだ。サイゴン陥落の一方で、アメリカ建国200年祭に向けて浮かれている連中もいた時期だ。何とも考えさせられる一曲なのである。

 

少々重たくなって終りを迎えたが、イベント後はアンブロージアやジェフ・ベックなどを聴きながら楽しいひと時を過ごすことができた。単にBGMイベントに終わるのではなく、音楽とともに過ごしてきた時を振り返ることは、個人的には非常に楽しい作業である。ご参加くださった皆さんがどういった記憶を引っ張り出してきたかは知りようもないが、自分の人生を見つめ直す機会になったり、楽しかったことを思い出すきっかけになったり、少しでもいい方向に作用してくれればと願うばかりである。何はともあれ、自分自身は思い切り楽しめた一日であった。

 



         
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