0074 コニー・プランクの音(2016.08.29.

自分は長いこと音楽を聴いてきたので、その時、その時で、好みはかなり変遷している。70年代はシンガー・ソングライター、正統ブリティッシュ・ハードロックやプログレッシヴ・ロックが好きだったし、70年代終盤から80年代前半にかけてはニュー・ウェーヴに随分ハマっていた。同時にフュージョンも好きだった時期でもある。その後はジャズにハマり、ブルースにハマり、行きつくところまで行った感があった。原点回帰のような感覚でポップ・ミュージックも聴ける柔軟さが出てきたのは、結婚してからである。その後は幅広く様々なジャンルの音楽を聴き、年代を遡りながらデータベース作りも始めたので、もうありとあらゆる音楽を聴いていた。実際どれも好きだった。

 

パンクの嵐が吹き荒れ、ニュー・ウェーヴが一般的になっていく過程で、玉石混交とも思えた中からウルトラヴォックスやジョー・ジャクソンなど一部のミュージシャンは全ての音源を押さえつつ、その他のミュージシャンはそれなりの付き合い方を見つけ出していた。コステロは、今でこそ全アルバムを集めているが、最初は荒ぶる若者を演じているような小賢しさが鼻について好きになれなかったし、ビル・ラズウェルやデヴィッド・バーンもお洒落過ぎたというか、色物的な臭いが払拭できず、なかなか好きになれなかった。ユーリズミックスは実に難しかった。好きな曲もあるにはあるが、やはりお洒落過ぎて自分のテイストではないような気がしていたからだ。

 

こういった先進性をウリにしていた音楽は、CDで買うべき音楽と決めつけていたことが懐かしい。アナログ・レコードと比べ、CDは文字が小さくてクレジットが読みにくくなってしまったことが本当に腹立たしかった。特にコンピレーション盤は演奏者のクレジットすらないことが多く、不満が募っていた。そのころからエンジニアだの録音スタジオといった情報に興味津々だったもので、気になる名前は相当数インプットされていた。コニー・プランクもその一人で、先進的なアルバムでしょっちゅう見かける名前として意識してはいた。しかし、好きになれない音源も多く、自分にとっては要注意人物だったのである。如何せん、それまで大好きだったデヴィッド・ボウイの、ベルリン3部作「ロウ」「ヒーローズ」「ロジャー」での変容ぶりが、「デヴィッド・ボウイとブライアン・イーノがコニー・プランクの影響を受けたことによる」と後に読んだことにより、決定的になってしまった。アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンも要警戒だった。やはりコニー・プランクの名前が見え隠れしていたことはしっかり記憶している。

 

要注意、要警戒と思いつつも、コニー・プランクを認めている盤もいくつかあった。何はともあれ、ウルトラヴォックスの諸作である。ジョン・フォックス脱退前後の「システムズ・オブ・ロマンス」「ヴィエナ」「レイジ・イン・エデン」あたりは大好きな盤だった。これでもかと低音を増幅させた録音は、オーディオ機器の鳴りを試されているようだが、それまでのハードロックがポップに聞えてしまうほど、暴力的な低音が気持ちよいのである。その上にピコピコ電子音が乗ってくるので好き嫌いは割れると思うが、如何せんメロディアスな曲が多く、いずれも確たる美意識が感じられ、一時期猛烈にハマったのである。

 

そしてお洒落すぎてついていけなかったユーリズミックスも、当時は聴かなかったが後々好きになったバンドである。ただ、この人たちに関しては、忘れられない曲がある。と言ってもアニー・レノックスとデイヴ・スチュワートが在籍していた前身バンド、ザ・ツーリストの音源であり、ここにもコニー・プランクが関わっているのである。1979年から80年にかけて、駆け足で3枚のアルバムをリリースしたザ・ツーリストのセカンド・アルバム「リアリティ・エフェクト」に収録されていた「二人だけのデート I Only Want To Be With You」である。シングル・カットされて中ヒットとなったが、元はダスティ・スプリングフィールドの1963年の大ヒット曲である。ベイ・シティ・ローラーズなどの他、多くのカヴァーを生み出したスタンダード曲だが、これのツーリスト・ヴァージョンが面白い音なのである。ベースなど、もうブカブカの低音で、最初に聴いたときはプロの音と思えないような音質で鳴る。しかしこれがギターのカッティングと重なってくると、妙に格好良いのである。ベイ・シティ・ローラーズの印象が強く、どうにも好きになれないでいたが、37年経った今でも忘れられない曲となってしまった。これなどはコニー・プランクにやられた感が強いのである。

 

コニー・プランクは1960年代に、現代音楽家カールハインツ・シュトックハウゼンのスタジオでキャリアをスタートさせ、その後マレーネ・デートリッヒのスタッフとして活動した。その一方で豚小屋を改装した自身のスタジオで実験的な録音を繰り返し、マルチトラックの可能性を世に知らしめた重要人物である。重低音を含むドラムスなどの録音技術は、後のロック・ミュージックに多大な影響を与えたと思われる。エンジニア、プロデューサーとして多くの盤にたずさわっているが、表に出てきたことは極めて少ない。あらためて時間を作ってでも、彼が関わった音源を時系列に並べて、聴き返してみたいと考えている。

 



         
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