0082 ディランの評価すべき点(2016.10.23.

前回もボブ・ディランとノーベル文学賞について書いたが、メロディメイカーとしてのボブ・ディランが少々飽きることを含め、通常のファンとは距離をおいた書き方をしたもので、読んだ方から「あまり好きではないのか」ということを言われている。しかし、決してそんなことはない。2006年の「モダン・タイムス」など大好きなアルバムだし、1976年の「欲望」も好きだ。中山康樹氏の怪著「ディランを聴け!!」も読破している。ミック・テイラー絡みの音源は、それこそ細部にまでこだわって研究聴きしている。ともあれ、最近のアメリカーナ、ルーツロック的なアルバムはどれも好きである。

 

音楽などというものは好みの問題であり、聴く側の環境によっても評価は変わってしまうものだ。60年代の「時代は変る」「追憶のハイウェイ61」「ブロンド・オン・ブロンド」といった大名盤も、リリース当時と現在とで、同じ聴き方ができる人間などいるわけがない。メディアのデジタル化を経て、ネット社会が到来した後の現在、アナログ・レコードで聴いたとしても、同じ聴き方、感じ方ができるとは到底思えない。加えてアメリカ人などは9.11の前後でも、彼の曲に対する受け止め方は違ってしまうだろう。日本人の自分ですら、9.11後は、いろいろな曲の歌詞が違うもののように聴こえることに驚いた。さらに3.11を経験し、限りなく直接的に近い間接影響で、長年勤めてきた職を辞した身としては、ボブ・ディランの書いた曲が違って聴こえ、以前にも増して染み入ってくることは当然と考えている。

 

そもそも重層的な歌詞であり、人によって捉え方が異なってもおかしくないボブ・ディランの曲は、シンパシーとはかなり距離を置いた共有を強いてくるではないか。ノーベル文学賞の選考委員も、その辺は理解した上で授与することを決めたのだろう。当然推測の域を脱することはあり得ないのだが、文学賞の選考は相当時間がかかるものだろう。果たして候補者の全作品を読んでいるかといえば疑問も残るが、結構な人数で協議しているのだろうし、相応しくない人間を排除するためには、おそらくインタビュー記事なども参考にしているだろう。一方で、ノーベル平和賞に関しては、妙に感情的な選考結果の歴史が見てとれるだけに、所詮人間が決めることという諦観も生じる。ご存知かとは思うが、アルフレッド・ノーベルはダイナマイトを開発した化学者であり、実業家である。いわゆる死の商人だ。ダイナマイト・ノーベル社は現在でも兵器を製造している。ノーベル平和賞とは、誠に珍奇な賞なのである。

 

映画「ノー・ディレクション・ホーム」には、1966年にロック化するボブ・ディランが、観客から「ユダ!」という罵声を浴びせられ、「お前らなんか信じない。お前らは噓つきだ。」と言い放って、大音量で「ライク・ア・ローリング・ストーン」を演奏し始めるシーンが収録されている。フォークからロックに転向したからといって裏切り者呼ばわりされるのも迷惑な話だが、第二次世界大戦終了から20年ほどの時期で、ユダヤ人のディランがこの言葉を受けてどれだけ傷ついたかは想像もつかない。70年代末には洗礼を受けてキリスト教に宗旨替えしているが、宗教色の濃いアルバムは3枚にとどまり、その後はルーツロックなどの方向へ向かっていく。結局一つの場所にとどまっているような人間ではないのだろう。

 

そんなわけで、今回ノーベル文学賞の受賞に関して、コメントも発せず、全く吾関せずといった態度をとっていることも理解できるし、興味を持って見守っているというわけだ。ただ、音楽夜話などと言っている音楽エッセイで、そういった話題にいきなり触れたところで、「また何か小難しいことを書いているな」という反応しかないだろうと思うし、前回は音楽的な部分の話題にとどめておいたのだが、予想外にディラン好きは多かったということか、そういったスタンスにご意見を頂戴することになってしまった。そもそも、当時は反体制音楽だったロックに転向し、戦争反対だのといったことを歌にしたボブ・ディランが、ノーベル賞に関して好意的な感情を持てないでいるような気もするのだ。ただし、その点は他人がどうこう言うことではない気もするので、触れなかったまでである。むしろ、IBMのコマーシャルで、ワトソンに呆れた顔をしてみせる爺さんを世間がどう見ているのかということの方が、話題としてはよほど面白いではないか。

 

ボブ・ディランはこれまでに、数多くのグラミー賞をはじめとして、アカデミー賞、ゴールデン・グローブ賞も受賞していれば、フランス芸術文化勲章、ピューリッツァー賞など実に数多くの賞を受けているのである。そこにノーベル文学賞が加わるという話なのだ。ボブ・ディランほどの多岐にわたる受賞歴を持つ人間はいるのだろうか?賞を取りたくてやっている人間でないことは明白だが、75歳をすぎても、現役で活動していることが最も評価されるべきという気もしないではない。90歳を過ぎて間もなくニュー・アルバムをリリースするチャック・ベリーもいるわけで、上には上がいるけどね。転がり続ける男ボブ・ディランの、すっかり枯れた味わいになった最近のアルバム、悪くないよ。

 


   

         
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