0083 死の気配(2016.10.30.

コーヒーの町、カフェの町として相変わらず人気の清澄白河で、カフェを経営しているといえば、少しは楽しんでいることと思われるだろう。もちろん一面では非常に楽しい。自分のやっていることが雑誌に取り上げてもらえたり、ラジオにゲスト出演させていただいたりということは、普通ではあり得ないし、人気上昇中のカフェの運営は想像を絶する楽しさと言っても過言ではない。音楽好きのお客様や、ソーシャルな活動、レコードや書籍に関する情報発信をしている関係からご贔屓にしてくれるお客様たちと交わす会話も、楽しいこと極まりない。しかし、実のところは一零細企業の経営者、収支計算と仕入れやら在庫調整やらの雑事に忙殺されて、とても楽しんでいる余裕はないといったところでもある。

 

営業時間内は最大限お客様へのサービスに注力するので、閉店後は説明のしようもないほど疲れている日もある。早く帰って横になりたいと思うこともなくはないが、終電ギリギリでもない限り、一旦気分をリセットして自分自身が楽しむために音楽を聴く。誰に気兼ねするでもなく、好きなレコードを聴きながら片付けをしている時間は最高のひと時だ。ホセ・パディーヤの選曲が楽しいチルアウトのコンピレーション盤や、マイルス・デイヴィス、ビル・エヴァンスのスマートなジャズあたりが定番だが、気分でいろいろなものをかけている。カフェのアフター・アワーズは、一人の時間を楽しむには最高の環境だ。

 

しかし、困ったこともある。清澄白河は古くからの寺町で、夜は本当に人通りが少ない。町全体が予想外に暗いことに驚くほどである。よく言えば落ち着いた町ということになるが、夜の集客がさほど見込めないので、商売をするには厳しい町とも言える。特に週の前半は、お客様がゼロという日もある。元々イベント・スペースとして使えるハコを作り、まずは美味しいという評価を得るためにランチ屋を目指したのだから、予定通りではあるのだが、夜の静けさが想定外だった。そして、笑っていただいて結構だが、ポルターガイストが凄いのである。いきなり物が落ちて割れたり、自分以外誰もいないのに、椅子を引く音が聞こえてきたりする。階段を上がってくる足音がするのに、誰もいないということもある。テーブルの上に置いてあるスマホが勝手に発信したことも何回かある。個人的に最も気味が悪いのは、キッチンの奥の方向から感じる視線である。こればかりは堪らず、さっさと切り上げて帰ってしまったこともあった。夏以降はしばらくそんな日が続いていた。とはいえ、さほど害があるわけではない。振袖火事まで歴史が遡れる寺町で、しかも大空襲などで多くの方が命を落とした場所という土地柄、仕方ないと思うようにしている。

 

ニック・ドレイクについては以前にも書いた(下町音楽夜話第406曲「「リヴァー・マン」はジャジーか?」他)。ブラッド・メルドーのカヴァーも含め、ジャジーな余韻を残す、彼の「ファイヴ・リーヴス・レフト」の楽曲は好きなものが多い。以前にも増して高く評価している。ウチの場合、懐かしレコードを聴いて楽しみたいお客様が多いことは事実だが、軽い食事とビールとともに静かな時間を過ごしたいお客様もいらっしゃるので、そういうときには重宝している。ノラ・ジョーンズやシャーデーなどとともに、結構な頻度で針を落とす。

最近、長年ラジオのお仕事をしてこられたというご夫婦のお客様が、時々いらっしゃる。ある時、たまたまかかっていたニック・ドレイクについて、「「ピンク・ムーン」も買って聴かなくちゃと思った」などとおっしゃっていた。ご夫婦ともとても音楽に詳しいので、話していてとても楽しいのだが、その時ばかりは気のきいた返事ができなかった。ニック・ドレイクは抗うつ剤の過剰摂取という自殺にも近いかたちで、26年の短い人生に幕を引いた男である。生前のラスト・アルバム「ピンク・ムーン」は、苦しみ抜いて制作し、すべての装飾を削ぎ落したかたちで発表された、恐ろしく短いシンプルなアルバムである。まさに死の気配に支配された静寂といった音なのだ。

 

その会話を交わした日も、自分はかなり疲れており、沈み込みそうな精神状態を無理に持ち上げていたもので、つい「聴くと死にたくなりますよ」という言葉が口から出そうになったのだが、何とか飲み込んだ。当然アルバムの背景などはご存知なのだろうが、死に取りつかれた音、その恐ろしいまでの静寂がもたらす精神作用について語り過ぎてしまう気がして、この店の中で語ってはいけないことのように思えたのだ。今でこそ高く評価されるファースト・アルバムの「ファイヴ・リーヴス・レフト」に関しても、かなりの濃度で死の気配を感じるのは、おそらく自分だけではないはずだ。

 

それでも「ファイヴ・リーヴス・レフト」は素晴らしい出来のアルバムだ。最近は疲れているのか、毎日のように針を落としているのだが、極力夕方や夜の早い時間、まだお客様がいるようなタイミングで聴いている。閉店後に一人で聴く気にはならないのである。いや、聴いてはいけないのだ。ましてや、「ピンク・ムーン」なんぞ聴いた日には…、ハロウィーンを前に、冗談では済まされないな。

 


   

         
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