0100 書くこと、シェアするということ(2017.02.25.

自分のウェブサイトを立ち上げ、続・下町音楽夜話になって100本目である。その数字には大した意味はない。下町探偵団で20025月から「下町音楽夜話」を書き始め、第666曲でいったん終了した。そこから100本書いたというだけである。盆も正月も関係なく、15年近く続けてきたという結果だけは事実として残るが、そこから生まれたものはまだ小さい。標準的な書籍でいけば、約30冊分の文章なので、ちょっとしたデータベースにはなるが、あくまで記録的なものでしかない。2014年で前職を辞して、カフェを作るという行為に及んだことのモチベーションにはなっているが、かと言って、この文章がお客様をカフェに連れてくることに繋がったケースは極少数である。

 

ウェブで公開するという手法を選んだおかげで、グーグルなどで検索したときに、マイナーなミュージシャンに関してはかなり上位に表示されることが嬉しいが、これで店や自分の知名度があがったという実感はない。広告宣伝という意味では機能していないわけだ。ただ、音楽に詳しいお客様から、「ああ、あれね」「あなたが書いていたの」というお言葉をいただくことはある。文章自体は、それなりに知られているものらしい。確かに大量の文章が公開されているので、当然と言えば当然なのだ。一応1000本を目標に書き続けているので、あと234本、4分の3は超えている。4年半ほどで到達の予定である。何とか1冊か2冊程度にまとめてみるかという気もしないではない。本にしろというお話は時々いただくが、具体的な話になることはまずない。あまりに膨大過ぎて、取捨選択の作業は困難を極めるだろう。

 

一体何を書いてきたのかと自分なりに振り返ると、結局のところ、音楽と生活の関わり、時代を反映した新盤、アナログとデジタルの関係、ライヴ・レポート、イベント・レポート、単なる思い出話などなど、いくつかに分類されると思う。オーディオ的な話題は意外に少ない。自分がさほどオーディオ好きではないから当然だが、音楽を聴くためにはどうしても必要なので、もう少し多くてもよさそうな気もする。最近は専用機器ではなく、スマホなどで聴くスタイルが一般化しているのだろうから、もう音楽というジャンルだけで書くことも難しいというか、意味のない時代になったのかもしれない。書籍化するためには、ある程度方向性を決めてグルーピングすれば何とかなりそうだが、アップデートの必要なものも多いはずなので、やはり簡単な作業というわけにはいかない。

 

文章を書くということは、読まれることを意識しないわけにはいかないが、そうなると一定の社会性は必要になる。仙人的な生活をしていれば、そんなことを意識せずに文章を書くことはできるだろうが、結局読む側にも同様の非社会性を求めることになってしまう。消費経済をベースにした社会活動の中で、音楽を聴くという活動に時間を割くわけで、商品として売られている音楽を消費するという経済行動でもあるわけだ。その部分を意識して振り返ると、45年以上にわたる消費行動にそれぞれの時代的特徴も垣間見られる。

 

活動開始当時は小学生なので、自由になる小遣いすら少ない。一枚のレコードを買うという消費行動が随分勇気を必要とするものだった。加速度的にハマっていく頃には、慎重に選んで買うという程度になるが、やはり思い入れは強くなる。自分の10代はちょうど1970年代なので、そのこと自体はラッキーだったと思うが、もう少し早く生まれていればと思うこともあるにはある。60年代も音楽的には魅力的な時代だ。70年代の音楽の魅力は絶大なわけだが、個人的にもその魅力を倍加させる理由がそこにあるわけで、他の時代の音楽とは比べ物にならないのである。80年代の映像の時代、90年代以降のリマスター、リミックス等のリメイクが大きな意味を持つ時代、それぞれに面白さはあるが、オリジナリティを求めると70年代以前にたどり着くことになる。やはり純粋に「パッケージ・メディアとしてのレコードを購入する」という消費行動が、自分の基本的な音楽との接点なのである。

 

つまるところ、最近あまりレコードを買わなくなってしまったので、語るに語れないという事情がある一方で、カフェを始めたことでレコードを再生して音楽を聴くという時間は、以前よりも格段に増えているのである。ブルーノートの若いミュージシャンのレコードなどは、しっかりチェックしながら購入してはいるものの、数的には大したものではない。やはり購入ベースから再生ベースに意識は移行せざるを得ない。そうしたとき、最近ではミュージシャンの命日に特集的に聴くことが多かったり、イベントで使うので聴き直すといった行動が中心となる。先日、2年前のヴァレンタイン・デーの日に亡くなったシーナさんのことを思い出しながら、半日シーナ&ロケッツを流していた。そのことをSNSで呟いたら、随分多くの反響をいただいた。そういう時代なのかとしみじみ感じながら、結局のところ文章化して読んでいただくことも含め、音楽を聴くという行動は、単なる自己満足的な行動のみにあらず、他人様とシェアするという側面もあるのだということを再認識した次第である。さてさて、書くネタが尽きるとは思えない。まだまだ書き続けますよ。

 


   

         
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