0102 村上春樹の音楽(2017.03.12.

昨夜のカフェ・ジンジャー・ドット・トーキョーでは、ハワイアンのライヴ・イベントが開催されていた。KEIKO(AO AQUA)さんと、ダンナさんのJimboさんのお二人が、2部構成でハワイアン・ソングをたっぷり聞かせてくれたのである。とても美しい声とやさしいギターの音色に、文字通り魅了された。本格的なフラ・ダンスも目にして、仕事とはいえ随分楽しませていただいた。ただ自分にとってハワイアン・ミュージックは、少々愁いを帯びたものに変換されてしまうところがあるのだ。それは村上春樹の「東京奇譚集」に収録されている「ハナレイ・ベイ」という短編が忘れられないからなのである。悲しくも不思議なこの物語は、忘れられないという程度を超えてしまい、ずっと自分の心の中に棲み着いているのである。

 

自分は決してハルキストではないと思っているが、村上春樹の関連する本が出れば大抵買って読んでいる。翻訳ものは100%ではないという程度で、長編、短編、絵本にエッセイ、分け隔てなく読んでいる。実のところ、デビュー作「風の歌を聴け」や2作目「1973年のピンボール」が大好きで、その後新作等が発刊されるたびにずっと読み続けているものの、いまだに最も好きな作品は初期のものとなってしまう。結局惰性で30年以上も読み続けていることになる。1970年から1973年頃の空気感が見事なまでに詰め込まれた初期作品は、自分の生き方にまで影響を及ぼしていると言っても過言ではない。

 

最近ではノーベル文学賞の筆頭候補とも言われ、新刊が出るたびに社会現象と言われる村上春樹だが、ジャズやポピュラー・ミュージックやクラシックに造詣が深いことは今更説明を要しないだろう。先般刊行された「騎士団長殺し」も、音楽に関する描写が随分多い。しかもアナログ・レコードで聴くことに拘りを見せているあたりが、今更に面白い。そもそも、オペラ「ドン・ジョバンニ」をモチーフにした、「騎士団長殺し」という絵を中心にしてストーリーが展開する不思議な物語である。話中多くのクラシック曲が登場し重要な要素となっているうえに、親友が好きでも主人公が好きになれない音楽として登場する80年代のポピュラー・ミュージックも名脇役といった趣きである。

 

そんな中、主人公が小田原のレコード店で購入するものがブルース・スプリングスティーンの「ザ・リバー」だったりする。非日常的な出来事が続くなかで、日常の代表とでも言うべき象徴として登場するのがこのアルバムなのである。しかも、アナログでなければ意味がない。裏返してB面のアタマの曲として「ハングリ・ハート」が鳴らないといけないのである。これまで、クラシックとの対比でジャズ曲が語られることが多かったように思うが、ここでは確かにジャズ曲は場にそぐわない。セロニアス・モンクのピアノに代弁させる部分も出てくるが、あくまでも山の上の芸術と真正面から向き合う場で聴くクラシック曲と対比させ、世俗的な存在として語られるものとして「ザ・リバー」はなかなか絶妙なセレクションだと思う。

 

こういったかたちで、複数のジャンルのレコードを代弁者として登場させるのは、デビュー作の「風の歌を聴け」から一貫して繰り返される村上文学の重要な要素である。長編小説では、「アフターダーク」でのクラシックとジャズの対比が最も顕著で分かり易い例だろう。社会的にはエリートに属する暴力的な男が好むクラシックと、まだ進むべき道の定まらないものの人間的でやさしい男が好むカーティス・フラーの「ファイヴ・スポット・アフター・ダーク」の対比は実に見事だ。しかも、ファミリー・レストランのBGMなどで流れてきたりするあたりは、ダメ押し的に人間味を与えている。その曲を聴いたときに受ける印象までも、伏線的に利用する手法は、音楽に詳しくなければ採り得ない。しかし、世の中には本好きかつ音楽好きが多く存在するわけで、そういった人種からの支持集めには実にうまく機能している。最近は「あざとい」と感じる一歩手前まできている気もするが、村上春樹のスタイルだということで世間が納得し、関連音源のCDが売り切れたりする「社会現象」にまでなるわけだから、今後も繰り返されるのだろう。

 

デビュー作「風の歌を聴け」では、グレン・グールドのピアノとともに、古いポピュラー・ミュージックが多く登場する。その点が自分などにとっては非常に新鮮で、こういう文学もあるのかと思わせたのである。その後のどの作品にも、上手い具合に音楽をはじめとしたサブ・カルチャーがネタとして使われているが、特に「ハナレイ・ベイ」が印象的だった。サーファーの息子を鮫に襲われて失ったジャズ・ピアニストの母の心情が、ハワイの空気感を伴って実に見事に文章化されているのである。彼の数多ある不可思議な物語の中でも、際立って存在感があるのだ。自分はハワイに行ったことはないが、この短編のせいで、ハワイのイメージがリアルな既視感を伴って自分の中に存在する。そしてその時に流れているのは、ハワイアン・ミュージックではなく、レッド・ガーランド、ビル・エヴァンス、ウィントン・ケリーといったジャズ・ピアニストの音なのである。

 


   

         
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