0117 忘れるということ(2017.06.25.

人間には忘却という機能があるから幸せなのだという。ストレスをため過ぎずにいられることは、ある意味、幸せと言えるだろう。記憶が一日しかもたない人の小説や映画もあるが、人間にとって何が幸せかなどということは、個人差もあり、一概には言えないことだ。しかし、ここにきて、自分は脳の記憶域を大いに刺激するイベントを続けていることもあり、気持ち悪いほど、昔のことを鮮明に思い出せる状態にあるのだ。今のこの状況は、他人様には全く理解してもらえるものではなかろうが、数年前の加齢故か物忘れがひどくなっていた自分とはあまりに違っており、面白くていけない。ただ、思い出したくもない、封印していたような記憶の扉まで開け放ってしまうようで、必ずしも上機嫌でいられるものでもない。夢の中でも昔のことを思い出してしまうようで、かなり不快な気分で朝を迎えることも多い。

 

音楽というものは、失われていた記憶を掘り起こすトリガーの役割を果たすことも多く、自分のトーク・イベントでは涙目になっている参加者を見かけることも少なからずある。イベント当日の時点では、自分自身はもう開き直るしかないほど古い記憶にまみれているので、トークの中に織り込むそういった記憶の断片だけで、呆れられることも多い。そういった懐かしい話を楽しみにきてくださるのは、当然ながら同年代やもう少し上の世代の方となるが、「毎度怖いもの見たさのような気分でもある」とさえ言ってくれた人間もいた。ベンさんと呼ばれたこの男性の素性を自分はほとんど知らない。それでも、明らかに自分のイベントを心から楽しんでくれていたし、昨年までは結構な頻度で店に遊びにきてくれていた。

 

1月にベンさんが倒れたという噂を耳にし、実際に今年に入ってから一度もイベントに顔を見せることはなかった。そのベンさんが亡くなったという報せをわざわざ届けてくれたのは、深田荘の管理人である。ベンさんは深田荘のキクさんから「音楽好きがやっている店がある」と聞きつけ、ウチに通うようになったのだった。ベンさんは自分が知り得る限り、恐ろしく音楽が好きで、古い音楽に関して知識が豊富だった。こちらも古い音楽の情報は他人に負ける気がしない人間なので、顔を合わせるたびに、「こんなのどう?」と通好みの盤や好きそうだと思う盤をかけて楽しんだものだ。

 

ドン・ニックスのアルバムをかけていたときなどは「あーあ、この店ときたら、何ていいもの流してるんだ」と、実に嬉しそうな顔を見せていた。何も言わずに続けてかけた、アラバマ・ステート・トルーパーズのライブ盤に関しては、「何十年ぶりだろう、そうか、これにもヤツは参加しているのか」といったことを口にしていた。正直なところ、ドン・ニックス主宰のアラバマ・ステート・トルーパーズを知っている日本人に初めて出会った。あまり口に出して「知っている」とか「好きだ」ということは言わないが、どういったものが好きか、顔を見ていればはっきりわかる人だった。レオン・ラッセルやスリー・ドッグ・ナイトなど、70年代前半の好きなあたりがかかった瞬間、子どものように嬉しそうな顔をしてくれるので、こちらも把握し易かった。とにかく、イベントやパーティなどで、みんなと楽しく過ごすのが好きな人間であることは一目瞭然、実に楽しい人だった。

 

昨年12月のクリスマス・パーティは、参加者が順番にオススメの曲を紹介しながらかけるというものだった。ベンさんは遠慮しながらも、レッド・ツェッペリンがケネディ・センター名誉賞を受賞したときの記念ライヴでハートのアン・ウィルソンが歌った「天国への階段」を紹介してくれた。今となっては、自分が最後にベンさんとともに過ごした日となってしまったこのパーティで、よりによって「天国への階段」をリクエストされたのだから、何とも皮肉なものだ。またパーティの終盤には、せっかくのクリスマスだからと、ホセ・フェリシアーノの「フェリス・ナヴィダ」をリクエストしてくれたのだ。何とも渋い、通好みの路線ではないか。実にいい感じでパーティを終わらせてくれた選曲に関して、いまだに感謝の念を抱いている。

 

2011年東日本大震災の年に倒れた自分は、酸欠にでもなったか、2年ほど脳の状態が悪かった。隣席の同僚の名前が思い出せず、電話に出て自分の職場名が言えないといった状態が続いた。倒れた直後から自覚はあったので、直ぐに退職願を出したが、受理されるまでに2年かかった。退職してからのんびりカフェ作りの準備をしていた頃から回復してきたが、一時はどうなることかと不安にまみれていた。そんな頃は「忘却という機能があるから幸せなんだ」と自分に言い聞かせていた。しかし、記憶がいい加減になっていたのは近年のことだけで、昔の記憶、つまり子どもの頃の記憶は以前よりも鮮明になっていたように思う。その後も、以前にも増して、子どもの頃の記憶がどんどん蘇ってきて気持ちの悪い思いをしているのだ。さらに、年代を決めてその当時のニュース映像などとともに、その年のヒット曲を聞かせるイベントをやり始めたもので、もう脳みそが凄い状態になっているのである。

 

人間の脳みそがもう少し都合のよいものだったら、どれだけ幸せなんだろう。自分は政治家ではないのでご都合性健忘症を患うことはないが、まいど都合の悪いことや辛いことだけ忘れて、楽しいことだけしっかり記憶している、都合のいい脳みそが欲しくていけない。いずれにせよ、ベンさんと楽しく過ごした半年ほどの日々は、忘れようにも忘れられない楽しい日々だった。ありがとう、ベンさん。R.I.P.

 


   

         
 Links : GINGER.TOKYO  saramawashi.com  Facebook  
 Mail to :  takayama@saramawashi.com     
 Sorry, it's Japanese Sight & All Rights Reserved.