0147 ブルースの妖精(2018.01.27.

最近はニュー・リリースのほとんどがアナログ盤で入手できるようになった。有り難い反面、気を付けないとあっという間に入手困難になってしまう。好きなミュージシャンの新盤情報などはチェックもしているが、聴いてみたいな程度に興味があるようなものは、買うことがなくなってしまったので、以前ほど目新しいものは聴いていない。定期的に開催しているトークイベントも古い曲ばかりかけるものだし、新しい音楽からは随分遠ざかってしまった。マルーン5など一部のものは買っているが、それも特別思い入れがあるわけではない。相変わらず聴きたいものがいっぱいあって、時間がいくらあっても足りない状況下、新規開拓している余裕がないとも言える。

 

古い音楽はもう学究的な聴き方に近いが、そんな中でも常にマイブームはある。最近ではアメリカや初期フリートウッド・マックにハマっていた時期もあったが、直近ではフィービ・スノウをよく聴いている。いずれもアナログで聴きたいものばかりだ。彼女のファースト・アルバム「ブルースの妖精 Phoebe Snowは、キャロル・キングの「つづれおり Tapestry」と比肩し得るほど好きなアルバムだ。シェルター・レコードのデニー・コーデルに見出された彼女は、最初から特別待遇を受けている。ファースト・アルバムのバックアップ陣を見れば明白だ。ズート・シムズやテディ・ウィルソンといったヴェテラン・ジャズ・ミュージシャンに加え、デヴィッド・ブロムバーグやデイヴ・メイソンといった通好みのミュージシャンが名を連ねている。大ヒット曲「ポエトリー・マン」に加え、「ハーポズ・ブルース」や「サン・フランシスコ・ベイ・ブルース」などいずれも名曲と呼ぶべき作品が並んでいる。グラミー賞の新人賞を受賞し、評価もされていた。

 

しかし順風満帆のスタートをきった彼女のミュージシャンとしてのキャリアは、いきなりブレーキがかかる。運命というものはときに信じられないほど厳しい。まずはシェルター・レコードと契約関係でもめてしまい、コロンビアに移籍する。大手が救いの手を差し伸べたまではよかったが、1975年末に出産した娘さんは深刻な障害を持って生まれ、いきなり介護生活に放り込まれる。治療費も必要だったと思うが、1976年から1981年までかなり早いペースでアルバムをリリースするが、いずれもファースト・アルバムほどのレベルには達していなかった。自分はそれでも全部のアルバムが好きで時々聴いているが、やはり少々オーバー・プロデュースという曲も含まれており、彼女がこの曲をカヴァーしなくてもいいだろうにというものも含まれている。1980年代はほとんど音楽活動から遠ざかってしまうが、MTV時代に無理な活動をしなかったのは、かえってよかったかもしれないと、自分は評価している。

 

自分にとってこの女性を再度評価したのは、1989年のアルバム「サムシング・リアル」である。久々のニュー・アルバムだったので期待もしていたし、期待以上の出来に嬉しかったことも鮮明に記憶している。加えてここには大好きなミック・テイラーやパット・スロールが参加していたことも、自分にとっては信じられないほどの喜びだった。少々ロック寄りの楽曲がまたいずれも格好良かったし、当時はファースト・アルバム並みに評価していた。どうしてもアナログ盤が欲しくて頑張って探したことも懐かしい。1989年という時代、CDは簡単に入手できたが、アナログ盤で入手するためには、相当頑張る必要があった。

 

さらに1991年、リビー・タイタスがプロデュースしてリリースされたライヴ盤、「ニュー・ヨーク・ロック・アンド・ソウル・レヴュー ライヴ・アット・ザ・ビーコン」に参加していたことも嬉しかった。この盤は、リビー・タイタスのダンナでもあるドナルド・フェイゲンやマイケル・マクドナルド、ボズ・スキャッグスといった錚々たるメンツとともに、ソウル・レヴューのようなスタイルで展開されたコンサートで、何だかミュージシャンが楽しんでやっているような雰囲気が伝わってくる素晴らしいものだった。フィービ・スノウはここで、テンプテーションズの「シェイキー・グラウンド」とスタンダード・ナンバーの「アット・ラスト」の2曲を歌っている。

 

ドナルド・フェイゲン、マイケル・マクドナルド、ボズ・スキャッグスの3人といえば、2012年に来日公演も実現した「ザ・デュークス・オブ・セプテンバー・リズム・レヴュー」ではないか。もしあの時点でフィービが存命だったら一緒に来日していたのだろうかと思うと、非常に残念でならない。そう、彼女は2011年に他界しているのである。2007年に娘さんが亡くなるまで、施設にあずけるなど一切せず、31年もの間、自宅で面倒を見続けたのだ。その後、ライヴ盤を一枚リリースして、さてこれからと思った矢先だった。100%の状態で音楽活動ができないことはよくあることだろうが、彼女の場合は、事情が事情だけに気の毒でならない。ブルースの枠に収まらず、ジャズ、ロック、AORなど様々な要素の音楽をミックスしたスタイルは、ありそうでなかった素晴らしい個性だった。もっともっと評価されて然るべきブルースの妖精を、決して忘れてはならない。

 


   

         
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