0157 記憶を整理することの意味(2018.04.08.

過去を振り返るイベントを続けていることで、いろいろな人と知り合いになり、いろいろなご意見を伺うことになる。こういった記憶を整理するような作業に後ろ向きな方もいらっしゃるので、「何の意味があるんだ」ということも言われる。昔と違って、社会の変化のスピードが加速している昨今、そういった考え方に至ることの方が自然かもしれない。AIが生活の中に大きく入り込んでくるこれからの時代、歴史から学ぶことはないと思われても仕方がないのかもしれない。増してや、若い世代にとっては、過去の経験も少ないので、なおさらその感が強いのではなかろうか。

 

我々のような世代(私は1960年生まれである)の一部にとっては、コンピュータが普及し、インターネットを活用するようになったことで、それまで積み重ねてきた経験が何の重みもないものになってしまったような苦い経験をしているので、インターネット普及前と後とでは「温故知新」という言葉の意味合いが微妙に違うものになってしまった印象がある。それでも自分は、古写真をスライドにして町の歴史を語るようなイベントもやっているので、過去を振り返ることに対して思い切り意味を見出しているクチである。「温故知新」と簡単に言うこともできるが、そこには人それぞれに特別な意味を持つ記憶や経験があったりする。その意味するところは千差万別、程度の差こそあれ、やはり重要な作業だと自負している。実際に、自分が続けている音楽のトークイベントで懐かしい曲を聴き、当時のニュース映像やテレビのCMなどを観ていろいろ思い出すことになって、涙を浮かべて帰って行かれる参加者さんもいるのだ。そして皆一様に感謝の言葉を口にしている。やはり意味があることなのだと強く思う瞬間でもある。

 

自分が提供しているのは、耳から入る音楽の情報に加えて、年表や流行関連の資料なども提示するので、かなり幅広い情報に触れることになる。当然ながら視覚に訴える情報は強い。年表に関しても、ニュース映像が強力な補足資料となる。人気があった映画やテレビ番組の情報からも、いろいろな記憶が蘇ってくる。同じ一つの情報に触れるとしても、その当時何歳だったかで感じ方も違うし、どこに住んでいたかで受けた影響も大きく異なることになる。戦後の復興から高度経済成長を経て、オイルショックやヴェトナム戦争など、さまざまな要因で語られる1970年代の経済事象は、いずれの年次においても時代の節目感が強い。様々な分野で新時代を迎えつつ、多かれ少なかれ、豊かになっていく生活を享受したのだ。皆が共通して持つ感情もあれば、人それぞれが個人的に味わった変化などもあるので、一つのことを語っても、受け取り方は千差万別というわけだ。

 

増してや面白いのは、世の中の変化は万人の共通の記憶として留められているものだが、変わらないものや変わらない景色を見続けた記憶などは、地域性や生活環境など様々な要因が重なりあって築かれるものなので、完全に千差万別なのだ。自分が提示したものが、音源であれ、映像であれ、文字情報であれ、そこから呼び起こされる記憶はまちまちで、皆さんが概ね同席している人間と話を合わせながらも、忘れ去っていたはずの記憶が蘇ってきて、腹の中で悶々としていたりする。それはニュータウンから都心へ向かう通勤電車の車窓からの眺めであったり、改札口でキップを切る鋏をカチカチとリズミカルに鳴らしていた音だったり、ある通りを通ったときに必ず嗅いだ独特の匂いだったり、そしてその時自分の身に起こっていた幸不幸様々な事象が重なり、お腹が痛くなるような感情までもがないまぜになった記憶だったりするのだ。

 

自分など、楽器屋やレコード屋に足繁く通ったお茶の水で目にした立て看板の文字が目に焼き付いていて、いまだに忘れられないでいる。おそらく何度も夢で見た光景でもあるのだ。学生運動を毛嫌いしていたのに、何故その光景を記憶しているのかすら理解できない。それでも、例えばポリスの1,2枚目やプリテンダーズ1枚目あたりを聴くと、その当時の閉塞感や漠々たる不安、そして現実逃避的に接していた音楽への憧れ、そこから得られる理由もない希望などが、一気に蘇ってくるのだ。目的もなく、何をやりたいかの目標もなく、悶々とした感情とともに蘇ってくる日々の記憶、そこには何故か曲名も分からないキャンディーズの歌声や、久保田早紀の「異邦人」の旋律などがセットになっているのだ。売り出されたばかりの巨大だったソニーのウォークマンに憧れ、携帯しながら音楽が聴けることがどれだけ便利かと想像しながら、ではどこに出かけて行くときに聴くのか、出かける用がない自分に気が付き、つい自虐的になる感情までもがセットになっており、あまり積極的に聴きたくはないような気分になることもあった。

 

記憶を蘇らせるネタは意外なところに隠れていたりもする。日焼け止めの匂いは巨大なトリガーだが、トロピカル・カクテルの香りや食べ物も案外強力だった。そしてその王道とも言える最も強力なものが古写真なのだ。自分はその当時の横浜の路上を写したある写真から、芋づる式にいろいろなことが思い出され、愕然としたことがある。楽しかった日々を懐かしみ、前向きに生きる活力を得たことも事実だが、その当時のことを忘れ去っていた自分に対して悲しい気分にもなった。自身の「老い」と向き合う勇気も与えてくれたその写真には感謝すらしている。記憶を整理することには、結構いろいろ意味があるものなのである。

 


   

         
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