0165 REOスピードワゴンの70年代(2018.06.03.

自分は1960年(昭和35年)生まれであるということが、音楽の好みにも随分影響している。1970年代がそのまま10代ということで、70sのシンガー・ソングライターやウェストコースト・サウンド、ブリティッシュ・ロックやプログレッシブ・ロックにドップリ浸っていた。加えて湯川れい子さんがパーソナリティを務める「全米TOP40」が好きだったもので、ポップなヒット曲にも詳しいということになる。全米TOP40197210月にラジオ関東で放送が開始され、自分は初回こそ聴いていないが、わりと早い段階で毎週聴くようになった。中学のクラスメイトに毎回頑張ってチャートをノートに書き取っていた人間がおり、月曜日には決まって情報交換し、おさらいしていた。ラジオ関東は音が悪く、自分はFENでもAT40を聴いていたので、それなりに原題に詳しかった。こういった行為が、正確な曲名を知る手段のない当時の中学生の英語力を、ある程度は引き上げてくれたのである。

 

自分ではそれほど強く意識はしていなかったが、7インチ・シングルが好きなところも、この辺に起因しているのだろうか。自分は早い段階でLPを買うことにハマったため、子どもの頃に買った7インチ・シングルは意外に少ない。2つ上の兄貴と金を出し合って買ったものが多いように思うが、アリス・クーパー「スクールズ・アウト」、ドゥービー・ブラザーズ「チャイナ・グローブ」、ブレッド「ギターマン」、バッドフィンガー「デイ・アフター・デイ」などはいまでも手元にある。カーペンターズの「ハーティング・イーチ・アザー」と「小さな愛の願い It’s Going To Take Some Time」は兄貴が買ったものだ。「小さな愛の願い」が後々キャロル・キングの曲だと知ったときの驚きは半端なものではなかった。自分がクレジット・オタクのようになった一つの原因かもしれない。

 

1980年代になって大学に入ると、音楽との付き合い方も随分変わってしまった。自分は大学に入ったのが遅く、21歳から25歳が大学時代なので、一般的な大学生よりも冷静な目で社会を見ていたかもしれない。普通に就活をして就職できる年齢ではないという自覚から、勉強はちゃんとしていた。試験で勝負できる道に進むしかないという諦めと、全く読めない世の中に対する苛立ちがそうさせたように記憶している。同時に、身近な人間の死や運転免許を取得しクルマを手に入れたことにより行動範囲が広がったことも、当時の自分には大きな影響を与えていると思う。必然的にカーステレオで聴くためのカセットテープを作ることが、音楽の楽しみ方の大きなウェイトを占めるようにもなっていった。

 

一般的に1980年代というと、ベストヒットUSAMTVといったキーワードに代弁されるミュージック・クリップの時代ということになる。当然ながら自分もヴィデオ・テープに録画して随分ため込んでいた。しかしそれ以上に、カセットテープ作りの方に夢中になっていた。レコードの枚数はどんどん増えていたが、それ以上に録画したヴィデオ・テープから音だけをカセットテープにダビングしたりもして楽しんだものだ。当時乗っていた三菱コルディアGTのカーステレオは、かなりいい音で鳴ってくれたことを記憶してる。友人のホンダ車やマツダ車に乗ったとき、音の違いに驚かされた。バブル崩壊に向かう時代の、アンチテーゼのような存在でもあったカジュアルな車、ホンダのシティやシビック、マツダの(赤い)ファミリアなどは、あの当時の若者にとって無くてはならない自己表現の最大の手段だった。

 

そんな時代によく聴いたものに、REOスピードワゴンがある。1971年にデビューしているが、ブレークまで10年を要し、アルバムも10枚目でようやく花開いた下積みの長い連中である。1981年に大ヒットしたアルバム「ハイ・インフィディリティ」からシングルカットされた「キープ・オン・ラヴィング・ユー」と「テイク・イット・オン・ザ・ラン」の2曲は、それこそドライヴのBGMのマスト・アイテムだった。自分は、湯川れい子さん曰く「年間300本のライヴをこなす実力派バンド」が気になって、70年代後半に中ヒットしていた「ツナ・フィッシュ」や「ナイン・ライヴス」といったアルバムを購入し、さんざん聴きまくった。その直後だっただけに、「ハイ・インフィディリティ」の大ヒットは喪失感にも似た感覚を持って見ていた。すぐにはLPを買う気になれなかったほどだ。

 

REOスピードワゴンはその後もヒットを連発し、80年代を代表するバンドの一つとなったわけだが、そのあまりに80sらしい音がいまだに好きになれない。自分にとっては、ローカル・サーキットを毎日毎日移動しながらライヴを続けている、いかにも70sな泥臭い音を出すロックンロール・バンドとしてのREOスピードワゴンに愛着があるのだ。今さらに売れなかった時代のアルバム・ジャケットを懐かしみ、クレジットなどを読み返している。自分が続けているトーク・イベントは、とうとう80年代に突入する。次回1981年の回に、どうREOスピードワゴンを紹介するか、なかなか悩ましいのである。

 


   

         
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