0166 変化の大きさ(2018.06.10.

新聞であれ、雑誌であれ、ウェブ媒体であれ、インターネットが社会を突然変えてしまったかのような言い方が散見され、何とも腑に落ちないでいる。自分たちはリアルタイムでインターネットの普及を最初から見てきたわけだが、それほど急激な変化ではなかったように記憶している。ネットの通信速度も徐々に上がっていったわけで、それに対応して、インフラを含めいろいろなものが徐々に変化していった。確かにアナログの時代に比べれば変化の速度はけた違いなのかもしれないが、未来を見据えて、変化の波がやってきたことに柔軟に対応しようとみんなで頑張ってきたのではなかろうか。もちろんこれからも大きく変化していくのだろう。AIがもたらす未来が楽しいものであればよいが、上手く変化に対応できなければシンドイ世の中になっていくのだろうか。

 

自分はアナログの世界に大きな魅力を感じているので、デジタル社会においてもそのことに変わりはない。どれだけアナログを楽しんでいるかをSNSで発信し、データベースをフルに活用して、リアルタイムでは分からなかった時代の影響や音の変化などを俯瞰的に楽しんだりしている。アナログを楽しむためにデジタル・ツールをいろいろ活用させてもらっているわけだ。デジタル音源のダウンロード販売やシェアアプリなどにはさほど興味はないが、便利な世の中だと思っているし、アナログとデジタルをTPOに応じて使い分ければ最大限の楽しさが得られるという考えは今でも変わらない。そういう意味では、自分自身が楽しめれば一応の目的は達成できているわけだが、自分の場合はトークイベントなどで、いろいろな方にアナログを楽しむ環境を提供したり、情報発信したりしているので、普通以上に敏感になっているかもしれない。ただし、世の中の変化には敏感でいたいが、自分自身が変わる必要がない場合は、無理しなくてもいいと割り切っている。

 

情報発信ということに関しては、ウェブ・メディアである深川経済新聞などのツールも活用することになるが、まだまだ研究しきれていない感覚が強く、乞われて発信する場合を除けば積極的に発信するには至っていない。それでも、自分が清澄白河エリアにカフェ形態のハコを持って活動していることで、興味を持ってくださる方はそれなりの数いらっしゃるし、メディアで取り上げていただけることも増えているので、少しはできていると考えてもいいのだろう。古写真をデジタル・アーカイヴ化して町の共有財産とすることや、ローカル・カルチャーの伝承的な活動は地道に続けていきたいと考えている。如何せん、インターネット社会が到来し、世の中が一気にボーダーレス化したことで、よかった面も多々あるのだろうが、一方で世界中のローカル・カルチャーがお座なりな扱いを受けることになってしまった。トランプは好かんが、必要以上のグローバリゼーションは、悪影響もあるということを発信していかなければいけない。

 

バグルスが「ラジオ・スターの悲劇 Video Killed The Radio Star」で予言したように、1980年代はミュージック・クリップの時代となった。パンク/ニューウェーブの登場で、反体制的な音楽だったロックが一気に旧態然としたものとして扱われるようになった直後、さらなる変化が待ち受けているということをどれだけのミュージシャンが意識したのだろうか。自分は時代背景とリンクさせながら年代ごとにヒット曲を整理してお聴かせするイベントをやっているため、その辺を強く意識してしまうのだ。ここで面白いのは、マイケル・ジャクソンのアルバム「スリラー」がエポックメイキングな存在として位置づけられることで、ここからシングル・カットされた「ビリー・ジーン」「ビート・イット」そしてタイトル曲「スリラー」のヴィデオクリップのクオリティが非常に高く、それ以前のものを陳腐化させてしまったのだ。「ラジオ・スターの悲劇」は1979年、「スリラー」が1983年、マイケル・ジャクソンはその間に「オフ・ザ・ウォール」という名盤をリリースしているが、ここに収録されている大ヒット曲「ロック・ウィズ・ユー」のヴィデオですら陳腐化している。

 

いくつかの要因が重なり、この数年で音楽の聴き方が大きく変わってしまったのだ。一つは音楽自体の変化で、パンク/ニューウェーブの登場や大ディスコブームなどによる多様化が挙げられる。後に産業ロックと揶揄されるバンド・スタイルのロック・ミュージックは一気にメロディアスになり、ハードロック/ヘヴィメタルは様式化を突き進む。一方でHIPHOPの萌芽も見られる。次に、1981年にはベストヒットUSAMTVの放映が開始され、音楽は聴くだけのものから観るものへと大きく舵を切った。そしてもう一つ、1979年には初代ウォークマンが発売されていることだ。音楽を町へ連れ出すというライフスタイルの変化をもたらし、さらには1982年にCDが登場する。アナログ盤のダイレクトディスクなどの高音質志向の一方で、ソニーが提唱する手軽さの魅力が世の中を席捲していくわけだ。

 

こうして振り返る限り、1980年前後の音楽を取り巻く環境の変化は、インターネットの登場による変化よりも遙かに劇的に感じられた。昨今はそのCDも売れなくなったと言われて久しく、ミュージック・シェアなどによって、ミュージシャンが食っていける世の中ではなくなったとも言う。聴く側がこれだけの変化を感じているのだから、演る側や作る側の人間は、もっともっと強く感じていることだろう。AIで何割の仕事が無くなるなどと言われるが、せめて音楽のような文化活動に従事する人間が食っていけない世の中にはなって欲しくない。何とか軌道修正して欲しいものである。

 


   

         
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