0168 DFK2018.06.23.)

DFK The Dudek Finnigan Krueger Band)をご存知か?レス・デューデック、マイク・フィニガン、ジム・クリューガーの三人が一緒にやっているアメリカンなバンドである。ハードロックの語法と当時大ブームになっていたAORがないまぜになった上に、その後のプログレではよくある転調が多いテクニカルな演奏が、今聴くと非常に個性的でもある。しかし、中途半端と言えば中途半端、「1970年代の人間が無理して80年代の音を出してみました」的な違和感も拭えない。商業的には思い切りコケたうえ、未CD化名盤代表のようにも言われていたが、よくよく調べてみると2007年頃に一度CD化されている。しかし現在はそのCDですらプレミア付きのお値段で売られている始末で、要は世の中から忘れ去られてしまった一枚ではある。勿論自分は大好きな一枚である。

 

如何せんタイミングがよくなかった。もう少し早ければ絶賛を浴びたかもしれないし、もう少し遅ければ、また違った捉えられ方をして、これほど幻盤化することもなかったのではなかろうか。そして悲しいかな、サポーター的なキャラクターが3人集まっているが故に、主役不在のイメージも避けられない。レス・デューデックは、オールマン・ブラザーズ・バンドの大名盤「ブラザーズ&シスターズ」で頭角を現し、ボズ・スキャッグスの「シルク・ディグリーズ」でも弾いているし、スティーヴ・ミラー・バンドの「鷲の爪 Fly Like An Eagle」や「ペガサスの祈り Book Of Dreams」といった70年代の名盤に名を連ねている凄腕ギタリストである。当時は音楽雑誌でもよく取り上げられていたように思う。

 

マイク・フィニガンはもう少し早く、ジミ・ヘンドリックスの「エレクトリック・レディランド」での演奏が、自分の知る限り活動の最初期だと思う。その後はビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーやピーター・フランプトンのアルバムで渋いハモンドB3の音色を聴かせている。80年代以降はクロスビー・スティルス&ナッシュに合流するが、やはり裏方色が強い。ジム・クリューガーはデイヴ・メイスンのグループのギタリストで、曲作りにも参加している。いずれ負けず劣らず、生粋のサポーターたちだ。

 

ただし、レス・デューデックに関しては、レス・ポール使いだけに好きなギタリストであり、何とも残念でならない。彼の1976年のソロ・デビュー・アルバムは、ボズ・スキャッグスがプロデュースしており、ジェフ・ポーカロ、デヴィッド・ペイチ、デヴィッド・ハンゲイトといったTOTOのメンツもバックアップしているのである。もしジェフ・ポーカロが弟君とバンドを組むにあたり、同級生の凄腕ルカサー君を加入させずに、南部臭が若干あるものの、似た傾向の音を出す髪の長い男を引き入れていたら、TOTOというバンドはどうなっていたのだろうか?TOTOの面々が1980年代に制作された膨大な数のヒット・アルバムで演奏していることを思うと、レス・デューデックの人生の転機は、実は1976年だったのではなかろうかと思うのだ。76年の時点では明らかに彼の方が有望株であり、豪華なスタジオ・ミュージシャンをバックにつけて自己名義のアルバムを制作しているのだ。何とも皮肉な展開ではなかろうか。

 

1980年にリリースされたDFK唯一のアルバムに関しては、こういった背景を抜きにして音だけを聴くと、ハードロック寄りのギターが心地よいAORということになるのだろうか。サザンロック的に分厚い音の骨太ロックに振るか、当時ブームだったもう少し軽いカクテル・バーのBGMにでも向きそうなAOR路線で押すか、メリハリをつければ違った評価が得られたのかもしれない。如何せん世の中が、パンク/ニューウェーブの大波を被り、大ディスコ・ブームの真っただ中にある時期に、古くもないが新しくもないという印象を与えてしまったようだ。時代の節目の時期はこういったイメージ戦略が難しいということの典型例かとも思う。裏ジャケに写っているオヤジ3人の写真は、80sのスマートさは微塵もなく、とにかくいただけない。

 

自分自身はやはり70sの人間なのでどうしても贔屓目に見てしまうのだが、実力のあるミュージシャンが、1980年代初頭に70s色の濃いものをリリースしてシーンから消えていったケースに関しては、拘って探し出してでも聴きたいという考えを持っている。ニューウェーブの中には実力がある者も大勢いたが、格好だけのチープなものも随分あったように記憶している。世の中全体がニューウェーブばかりを持て囃し、それまでの歴史を築いてきた名手たちを疎かにして、もっともっとクオリティの高い音楽を享受できるチャンスを殺してしまったように感じるのだ。残酷なまでの時代の転換点が存在し、しかもタイミング悪くMTV的な映像で音楽を表現する時代に突入してしまった。つまり見た目も重要な要素という時代になってしまい、本質的な音楽のクオリティだけでは評価されなくなってしまったということではないか。もちろんそういった変化は映像技術などの新しい価値も生み出したが、その一方でオールドウェーブと一括りにされたものの中には、本当に価値のある音楽も結構多く含まれていたように感じ、残念でならないのである。

 


   

         
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