0176 ソウル・トゥ・ソウル(2018.08.18.

ソウルの女王、アレサ・フランクリンが亡くなった。膵臓癌、76歳だという。また偉大なるミュージシャンが旅立った。何とも寂しいことだ。黒人女性として、婦人公民権運動などと絡めて語られるニュースが多いことも当然だが、ロッキング・オンのサイトで渋谷陽一氏がサクッと彼女の音楽の肯定性について語っていた。実に腑に落ちる文章で、最も印象に残るものだった。有名人が彼女を悼むコメントなどを掲載したニュースが多々あるなかで、音楽性を評価するコメントの少なさに意外な気持ちになりつつ納得もした。結局1960年生まれの自分よりも若い世代が圧倒的多数になったであろうニュースサイトの執筆者も、リアルタイムに彼女の歌声が社会に変革をもたらす現場を体験していないのだ。従って、歴史上の事実を述べるような語り口になってしまうのは当然のこと、致し方ないのだろう。

 

自分が洋楽にのめり込んでいった1970年代初頭、「ソウル・トゥ・ソウル」というラジオ番組があった。さほどディープではない内容の初心者向け番組で、ラジオ局もパーソナリティが誰だったかもマッタク憶えていない。ネットでも何故か情報があまり出てこない。それでも自分は、ここで聴いた音楽が原因で洋楽にハマったので、忘れられないのである。分からないなりに聴いていたソウル・ミュージックも、映画「ベン」のテーマを歌う13歳のマイケル・ジャクソンは衝撃的だった。まだ飛行機事故の余韻が残っていたかのように、オーティス・レディングの「ドック・オブ・ベイ」はよくかかっていた時期だ。テンプテーションズもやたらとかかっていた。自分が最初にアレサ・フランクリンの声を耳にしたのも、この番組で流れてきた「リスペクト」だったと思う。「ナチュラル・ウーマン」はもう少し後になって初めて耳にして、「歌が上手い人だな」と認識を新たにしたものだ。それまでは、パワフル過ぎるというか、ゴスペル・スタイルのシャウトがあまり好きになれなかった。

 

最近は、自分がカフェでやっているトークイベントの準備が音楽と接する時間の中心となっている。従って今だと、198485年頃の曲と197071年頃の曲となる。面白いのは、息の長いミュージシャンたちの存在で、いずれの時代にも当たり前のようにチャート・インしているマイケル・ジャクソン(ジャクソン5)やスティーヴィー・ワンダーは、その典型例だ。音楽性の変化や成長ぶりという視点でも楽しめるが、録音技術の進化や複雑になっていく曲構成など、いろいろな側面から楽しめる。スティーヴィー・ワンダーに関しては、コンポーザーとして一気に花開く70年代の劇的な変化が素晴らしい。時代を追って整理しながら聴くという体験はなかなかできないので、やはりイベントをやっている側の自分自身が最も楽しんでいることになってしまう。

 

意外なのは、今では当たり前のように聴いているマーヴィン・ゲイの存在だ。当時も「愛のゆくえ What’s Going On」や「レッツ・ゲット・イット・オン」は好きだったが、さほどラジオで頻繁に流れていたようには思えないし、今ほど評価が高かったという気もしない。同様のことは、ダニー・ハサウェイやビル・ウィザースにも言えることだ。レコードが買えるほど金もなかった子どもが情報を得る手段は、正直なところラジオしかなかった。ラジオで頻繁にかかっていれば、もっと記憶に残っているはずなのだが、テンプテーションズやシュープリームス、そしてカーティス・メイフィールドあたりはやたらと鮮明に刷り込まれている。もう少し後になれば、グラディス・ナイト&ザ・ピップスやロバータ・フラックが猛烈なヘヴィ・ローテで流されていた。そしてアレサ・フランクリンは「たまにかかるゴスペル色の濃いパワフルな人」という印象が残っている。たまたま自分がラジオを聴くことができる時間帯の番組がそういう傾向だったのだろうか、当時の空気感を語るときに、今現在の評価とは微妙に違っていることは、むしろ同時代感を共有できる人間との間では面白いネタとなる。

 

そんなわけで、時期的なことや年齢的な要素もあって、自分のソウル原体験は、ノリノリのジャクソン5であり、格好いいテンプテーションズであり、ファンキーなウォーであり、やさしい歌声のロバータ・フラックであり、そしてテレビで放映されていた「ソウル・トレイン」となるのだ。もちろん人種差別や公民権運動などという言葉も知らなければ、タイトルの意味や歌詞も全く分からずに聴いている、学校が大嫌いだった小学生の記憶である。数週間後にはCCRやローリング・ストーンズの方がずっと楽しいと感じたり、フィルム・オーケストラの「大脱走のマーチ」で興奮したり、「風のささやき」や「雨の訪問者」でしんみりしていたヤツの記憶である。

 

結局のところ、音楽は人それぞれ、聴く環境も異なれば、聴くタイミングも異なる。それでも共通認識として語ったり、同時代感を共有したりすることは楽しい。人間の脳は実に器用で、インプットされた情報と、記憶の中にある情報を勝手に紐づけ、周辺情報も含めてしっかりと蘇らせてくれる。同じ曲を聴いても、個々人の体験が異なるので、実際に蘇ってくる印象や記憶はまちまちだが、その微妙な差異がまた面白いのである。自分にとってのアレサ・フランクリンは、マッスル・ショールズのミュージシャンがリスペクトした若い娘であり、婦人公民権運動の象徴でありながらもキャロル・キングをカヴァーする度量がある人であり、音が割れ割れだったはずのソウル・トゥ・ソウルで流れていたシャウトがうるさい未知の世界の人だったのである。R.I.P.

 


   

         
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