0180 近現代史は面白い(2018.09.17.

日本史の教科書を最後まできっちり勉強している高校なんて存在するのだろうか?大学受験が始まってしまうため、近現代史は疎かになってしまうのが常だろう。自分が大学受験をした頃は、明治時代がせいぜいで、第二次世界大戦あたりはちゃんと勉強した記憶がない。受験の問題もその辺でとどまっていたように思う。ただでさえ詰め込みすぎと思われる量を記憶しなければいけない歴史の勉強は楽しくなかった。学校の勉強から遠く離れ、ようやく自分の興味で勉強を始めるまでには相当の年数を要したと思う。教科書の厚さにメゲて世界史は履修しなかったが、今になってやっておけばよかったかもなどと思ったりもする。歴史の勉強は意外に面白い。

 

「音楽のトークイベントでそこまでやるか」と言われながら、毎度年表や流行関連の資料を配布して、当時の空気感を蘇らせることに務めている。必然的に近現代史の勉強になってしまう。戦前のサブカルを振り返るイベントも一度はやってみたいなと思いつつ、実現にはほど遠い状況だが、小唄、端唄のSP盤まで少しは集めてある。紫綬褒章受章者、藤本二三吉による「深川節」などの音源はウェブでも聴くことができるが、SP盤を蓄音機で鳴らしてこそと思っているので、大事に保管してある。こういったローカルなネタは、文化財としての価値もあると思う。ただ、カフェのオーナーといった立場ではできることにも限界がある。ここまでやってみて、ようやくイベントも満席になるまで人も集まるようになったが、諸々に関して、まだスタートラインに立ったところだと考えている。さて、どちらの方向に走るのやら…。

 

トークイベントは、大盛況のうちに1980年代中盤にさしかかっている。今週の土曜日は「1985年」の回であり、年表的には、つくばの科学万博、日航123便御巣鷹山墜落事故、プラザ合意、公社民営化などなど、忘れられない事象が山盛りだ。夏目雅子さんが亡くなったことが実は最も衝撃的ではあったが、インフラ整備は宴たけなわ、変動相場に合わせて金融緩和政策が功を奏し、バブル崩壊に向かって猛然とダッシュした頃だ。個人的には、まだ湿式コピー機を使っていた江東区役所に入庁した年でもある。自分が電卓で計算した資料を、退職目前の係長さんが一生懸命そろばんで検算していた姿が忘れられない。コボル言語なんぞ勉強させられたことが懐かしい。

 

一方、今週水曜夜は「1971年」の回もある。かなり時間に余裕をもって資料の準備もしてきたので、混乱するということはなさそうだ。いよいよリアルタイムで洋楽を聴き始め、ズブズブにハマった年でもあるので、個人的には思い入れが強いのはこちらの方である。東京(板橋区)の小学校がとても好きにはなれず、さっさと帰宅して音楽ばかり聴いていたわりに成績はさほど悪くなかった。それでも家庭内では父親と兄貴の方が絶対的に優秀な人たちだったので、劣等感はしっかり植え付けられた。学生運動には一切興味がなかったし、ヒッピー的な感性にも全く動かされなかった。周囲には外に目を向ける多感な同級生もいたが、自分は内に籠っている性格だった。マクドナルドの1号店ができたと聞いても、行きたいと言った憶えもなければ、全く興味がなかった。初めてマクドナルドのハンバーガーを食したのは8年後である。

 

今にしてみると、マクドナルド上陸も「戦後の終焉」の一項目として挙げてもいいだろう。高度経済成長の中で、外食産業の発展は重要な指標である。1970年にダイエー側が保有する株式が50%か51%かで物別れになって、結局日本マクドナルドを独自に立ち上げたのが19715月、6月には人材育成のための「ハンバーガー大学」を開校し、7月に銀座三越1階に日本1号店をオープンさせている。現在は世界中で35千店舗以上という規模を誇るマクドナルドの上陸は、ある意味、黒船レベルの話だろう。

 

ダイエーはマクドナルド上陸に先んじて、19702月にドムドムハンバーガーをダイエー原町田店前にオープンさせた。早いタイミングで、丸ノ内線池袋駅改札そばに店舗があったので、ドムドムのことはよく憶えているが、その後の展開を考えるとダイエーの失策以外の何物でもない。1980年になってウェンディーズを日本に紹介したダイエーの笑えない過去であり、グルメシティの展開がイオンセンター規模になっていたかもしれないなどと想像すると面白い。翌19727月には、米国Tommy’sを参考にしたというモスバーガー1号店ができていることも興味深い。しかもその場所が板橋区の成増駅前だったので、子供達の話題になっていたことを記憶している。

 

ちなみに19729月には日本橋高島屋内にロッテリア1号店がオープン、サントリーのファーストキッチンは19779月に、やはり池袋駅構内丸ノ内線改札そばに1号店をオープンしている。西武グループがバーガーキングを日本に紹介したのは1993年と遅く、その後JT、ロッテを経て現在は香港の投資ファンドが経営している。アメリカン・カルチャーを語る上でそれなりのインパクトを持つハンバーガー・チェーンの日本国内における歴史は、1970年代初頭の時代を語る上では欠かせないのである。イベントでは、さらに詳しい「ハンバーガーの歴史」資料を配布する予定である。外食産業に関わる近現代史は案外面白いのである。また、ここまで説明すれば、自分のトークイベントが明らかにDJイベントとは別物であることをご理解いただけることだろう。

 

 


   

         
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