0196 1990年代の空気感(2019.01.05.

あけましておめでとうございます。今年もとりとめのない音楽談義にお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

 

さて2019年、何を聴くか。トークイベントに関しては、水曜夜の70年代は76年まできており、せいぜい選曲という楽しい苦しみを味わうしかない。今更新規開拓もないので、レコードラックの整理に勤しみ、何がどこにあるかをしっかり把握しておけばいいだろう。如何せん自分が把握していた以上にレコードがあるようで、5,000枚程度ということにしているが、実際に何枚あるか知りようもない。カフェのレコードラックを見て驚かれたりするが、自宅にはもっともっとあるわけで、メディア・ジャングルに暮らしている様はとても他人様にお見せできる状況ではない。インスタグラムにアップしている猫の写真が毎度ドアップなのは、背景を写せないからという事情があるのである。その原因を成している大半が70年代を中心としたロックのレコードというわけで、貴重な盤も含めいろいろイベントに活用できるのだが、必要なときに見つけられないが故にできないでいるのである。今年は少し整理する時間も確保したいものだ。

 

土曜夜のイベントは80年代終盤に差し掛かっており、90年代の準備もできるところから始めている。80年代終盤から1990年頃は、まだ思い切りハードロックや様式化したヘヴィメタルが幅をきかせている頃だ。90年代に入ると、途端にヒップホップやR&Bが主流となってしまい、90年代中盤になると、「You」が「U」になり、「To」が「2」になり、何とかフィーチャリング何とかという、どちらも知らないミュージシャンやラッパーの曲が年間のHot100にずらずら並ぶことになる。個人的には音楽に対する興味を思い切り殺がれてしまい、特定のロック・ミュージシャンのアルバムを売れようが売れなかろうが買ってきて聴くようなスタイルになってしまった。加えてジャズやブルースにも手を出しており、結果的にヒット・チャートから遠ざかることになってしまい、音楽との接し方がまるで変ってしまった時期である。

 

新しい音楽の情報を得る基軸が全米TOP40からTOKIO HOT100に変わり、洋邦の垣根は消え去っていた。渋谷系と言われるものが流行り、西新宿7丁目あたりをベースにしていた自分には全く響かない音楽が流行り出していた。サンプリングと言う名のもとに、過去を断ち切られた表層だけの音が繋ぎ合わされ、新しい価値観として紹介されていた。古くて結構、自分は歴史的な要素に拘る姿勢が強くなっていった。R&Bやヒップホップにも好きな曲はあるが、数は多くない。流行とは距離を置くことにならざるを得なかった。年で刻んでイベントを開催しても面白い内容にできるとは思えないので、やはり90年代は前半後半の2回程度でいいだろう。

 

如何せんバブル崩壊と時を同じくして世界秩序が刷新されたのだ。1989119日にはベルリンの壁が崩壊し、199112月にはソ連まで崩壊してしまう。日本国内は、80年代の楽しかった空気感が一変し、暗く重苦しい日々が続くことになる。1995117日の阪神淡路大震災と同年320日の地下鉄サリン事件によって価値観や物事の考え方が大きく揺らぎ、さらに同年4月には個人的に影響の大きかった世界都市博覧会中止によって居場所を失うということになり、人生そのものが閉塞感に塗れたものになっていったのだ。

 

Windows95がリリースされた頃、初めてPCを購入し、データベース作りを開始した。PCの時代がやってくると信じ、慣れるために選んだのが思い切り後ろ向きの作業だったというわけだ。シムパークなどもやったが、とにかく入力しまくりの日々となった。ほぼ時を同じくして携帯電話が普及し始め、ライフスタイルが大きく変化していくことになる。インターネットが一般的になるのはWindows98からで、MEで使い勝手が一気に向上した。インターネットは爆発的に普及し、通信速度は猛烈なペースで増していった。世紀末思想と同時に、ミレニアムを祝うムードも少しはあった。

 

しかもこの時期の音楽の情報源はJ-WAVEのみとなってしまう。レコード・コレクターズは毎月買っていたが、流行とは一定の距離がある世界なので、完全にJ-WAVEというフィルターがかかった状況で暮らしていたことになる。MTVも時々は観ていたが、ダンスに興味があるわけではないので、映像に関する興味も殺がれてしまったようなものだ。ついでに言えば、エリック・クラプトンが「ティアーズ・イン・ヘブン」や「チェンジ・ザ・ワールド」といったバラードばかりヒットさせ、合わせてライヴ盤「アンプラグド」が大ヒットしてアコースティックでスローな「レイラ」をやるようになって、ロックを過去のものにしようとしているかのような感覚になったものだった。相変わらずハードな路線を維持したカヴァーデイル・ペイジなどの盤が有り難かったし、好きだった。

 

ラジオではやたらと女性ヴォーカルのポップスが流れていた。マライア・キャリーは特別好きでも嫌いでもなかったが、メイヤやリサ・ローブ、ナタリー・マーチャントあたりは結構好きだった。TLCも曲によっては好きで、「ウォーターフォール」は個人的には90年代を代表する一曲と扱っている。エイス・オブ・ベイス、クランベリーズ、カーディガンズあたりはTPO次第といったところだ。今聴くと強烈な懐かしさを喚起させる美メロもあって悪くはないのだが、当時は音的に好みではなく、あまりよい印象はない。楽器の上手い下手という物差しは過去のものとなったことを痛感させられた時代だった。こういったガール・ポップも既に20年以上前のヒット曲となってしまい、70年代好きにとって手ばなしで好きと言えない音の違いも、現在のものと比べれば大差ないということになってしまうのか。悲しいかな、時の流れには抗えない。

 

90年代は面白い記録が出たことも記憶している。エルトン・ジョンの「キャンドル・イン・ザ・ウィンド1997」とリアン・ライムスの「ハウ・ドゥ・アイ・リヴ」の2曲は、97年と98年の2年連続で年間TOP10入り(1位と8位、9位と5位)を果たしたのである。しかも「ハウ・ドゥ・アイ・リヴ」は最高位2位で1位になれなかった曲なのである。2年連続でTOP10入りというのは、後にも先にもこの2曲しかなし得ていない偉業なのである。またエルトン・ジョンは、1970年から1999年までの30年間、シングル・ヒットをTOP40内に送り込み続けたのであるから、これはもう凄いと言うしかない。

 

またサントラ盤の大ヒットも桁違いに凄いのがいくつも出た時代である。1993年の「ボディガード」は20週間、1998年の「タイタニック」は16週間、1位に君臨したのである。これは凄かった。1960年代の「ウェストサイド物語」や「サウンド・オブ・ミュージック」は何年にもわたってヒットし続けたのだが、娯楽が多様化しテレビが普及し終えた後の時代に出た記録であることを考えるとやはり凄いのではなかろうか。ゲーム機やインターネットの出現は、さらに娯楽のあり方を変えてしまうが、バブルがはじけた後の「失われた10年」といわれた時代、人々に明るさや楽しさ、感動といったものをもたらした楽曲の数々には敬意を払うべきだろう。やはり90年代のトークイベントも、猛烈な熱量のものとなりそうだ。どうぞ、覚悟してご参加ください。

 


   

         
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