0214 スタンド・バイ・ミー(2019.05.11.

10連休も終盤に差し掛かったところで、予想だにしていなかった事態に見舞われた。17年もの長きにわたり、我々夫婦をはじめ、多くの人々を癒し続けてくれた老巨猫、ジンジャー君が天に召されてしまったのである。17歳といえば人間の84歳に相当する高齢なので覚悟はできていたが、あまりに突然だった。後ろ脚が細ってきた以外は、見た目もさほど年齢を感じさせなかったし、直前まで食欲は衰えなかったので、まだしばらくは大丈夫だと思い込んでいた。命あるものに死は平等に訪れることは分かっていても、そんなことを意識して日常生活を送っていたわけではない。日々の平和な暮らしが続いているのは奇跡的なことだと言われても、なかなか実感として捉えられるものではない。

 

たかが飼い猫の死と言うなかれ、ペットロスなどという言葉が一般的になったのはわりと最近だろうが、日々癒し続けてくれた存在が突然消えてしまうことの喪失感は想像を絶するものがある。17歳という高齢に達していたのに、そろそろという程度の意識しか持っていなかった自分が悪いのだが、何十年も一緒に暮らしていない家族の死と、17年もの長い時間を共に過ごしてきた猫の死では、猫の死の方がこたえるのではないかというのが今現在の正直な印象だ。直後は悲しみも大きかった。しかし、こういった感情は時間が解決してくれるものだと思っている。ところが、喪失感と自分が表現している感覚は日増しに強くなっていく。自分には子どもがいないので、ある場面では子どもの代わりでもあったとは思うが、将来面倒を見てもらえなくなったなどという感覚はないし、そういった理性的に捉えられることではない。もっと感覚的なもので、日常の中の、あるべき一部がポッカリ空洞になってしまったような、これまでの平和な日々と違って、どうやっても不完全な日常でしかないような感覚なのだ。

 

何はともあれ、猫中心の生活だった。毎日6時前には起こされる。まず猫の食事から朝が始まり、出かける前には写真を撮って「行ってきます…。…。」のインスタ投稿だ。帰宅すれば、まず猫の食事、猫トイレの清掃、しばし毛繕い。高齢になってからは、ソファの上が定位置になったが、若い頃は自分の膝の上が定位置だった。夏はお互い暑苦しいので一定の距離を置いて接するが、冬は自分の脇の下に嵌るような位置で眠っていた。もう少し距離を置いて接するべきだったのだろうが、自宅内では常に傍にいた。妙にドジなところや、やたらと人間くさい姿などで、常に笑いを提供してくれていた。その分辛さが身に染みるというものだ。

 

人間は誰しも、何かに支えられて生きている弱い存在だ。音楽などの趣味やペットなど、こういった心の支えにしているものが何かしらあるのではという程度で捉えていただければと思う。ベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」を、「弱腰の強力なパワー」という、実に勝手な解釈で以前にも文章化している(下町音楽夜話第51曲)が、そこでも「弱いからいとおしい」ということを書いている。あらためて「スタンド・バイ・ミー」と口に出して言えることは素晴らしいと思う。

 

「スタンド・バイ・ミー」というタイトルの曲は他にいくつもある。例えばアトミック・ルースターの「スタンド・バイ・ミー」も忘れられない曲だ。先日、トークイベントの準備で、久々に彼等のアルバムを引っ張り出してきて針を下した。中学生の頃大好きで随分聴いたものだが、存在を忘れていたかと言うほど最近は聴いていなかった。元々自分はギターが好きなので、こういったキーボード奏者がリーダーのバンドが受けるとは思えないのだが、1972年に中ヒットした「スタンド・バイ・ミー」と「セイヴ・ミー」という2曲は、いずれも印象的なギターのリフを持った曲で、そこそこヒット・チャートも賑わせた。かなり夢中になって聴いたものだったが、如何せんレコード屋に行ってもなかなか手に入らず、少し経ってからようやく入手したものだった。

 

当時はクレジットなどロクに見ていなかったが、ヴィンセント・クレインというキーボーダーが中心のバンドであること、妙にクセのあるヴォーカルはクリス・ファーロウという人物であること、元々カール・パーマーが在籍していたことなどはラジオから得た情報だった。既に「展覧会の絵」を入手して繰り返し聴いた後だったので、カール・パーマーがどういうドラマーであるかは知っていたが、この盤でドラムスを叩いているリック・パーネルが、手数の多い似たタイプのドラマーであることが面白いと思ったことが忘れられない。「スタンド・バイ・ミー」のドラムスは、数多あるロックの名曲の中でも、屈指の名演であると思っている。

 

自分は音楽やクルマなどの趣味があるからまだよい。つれあいは趣味と言えるほどのものもない人間なので、落ち込んだ時の回復手段が簡単に思いつかない。せいぜいで旅か。女は男ほど単純な生き物ではないというが、今般もあらためて納得した。彼女はいろいろ後悔することもあるようで、かなり引きずっている。猫の存在を口実に出かけなくなってしまった我々も、昔は随分旅に出かけたものだ。身軽になったということを理由に、今後は少し出かけてみるか。それなりに喪失感を味わっている自分も、少しケアが必要かもしれない。

 

 


   

         
 Links : GINGER.TOKYO  saramawashi.com  Facebook  
 Mail to :  takayama@saramawashi.com     
 Sorry, it's Japanese Sight & All Rights Reserved.