0222 1984年の憂鬱(2019.07.06.

大学4年という時期は何とも憂鬱なもので、あの鬱々とした日々の感情はいまだに忘れられない。恐らく多くの方が同じ思いをしたのではなかろうか。モラトリアム時代と呼ばれた、我々の世代の大学時代は実に楽しいものだった。その厳しい社会に出る前の猶予期間は刹那的でもあり、時間を惜しんで遊びまくるものだった。1984年の夏、自分は終活をして一般企業に就職できる年齢ではなかったので、試験で勝負できる公務員狙いだった。とはいえ、一夜漬けで過去問にあたってみただけで、ロクに勉強したわけでもない。ただただ鬱々とした日々を遊んで暮らしていた。ローンを組んで三菱コルディアを購入し、車の中で聴くカセットテープをいっぱい作っていたことだけがしっかり記憶されている。

 

とにかく時代が動いていた。一日として同じ日はないことなど承知してはいるが、1980年代は激動の時代だったという肌感覚が残っている。後々振り返って分かったことではあるが、1984年に日経平均株価が終値で初めて1万円を突破したときの騒ぎはしっかり記憶している。それが87年には2万円を、翌88年には3万円を突破し、8912月には史上最高値の38,915円を記録するまでになる。まさにバブル絶頂期に向かって、狂ったような好景気に突進していく序章にいたのである。翌年には電電公社と専売公社が民営化され、男女雇用機会均等法が成立し、プラザ合意の声明によりバブルがスタートしたと言う向きもあるが、自分の感覚では84年までに新幹線や高速道路などの重インフラ整備が一定の段階に達し、舞台は既に出来上がっていたように思う。やはり浮かれた時代だった。

 

テレビではグリコ・森永事件の報道が繰り返されていた。大相撲の高見山が引退し、蔵前国技館が閉館したことも忘れられない。新紙幣が登場したのもこの年だし、世田谷区では通信ケーブル火災が発生し混乱を極めた。ロサンゼルス・オリンピックが開催され、これまでにない華やかさと商業性に驚かされた。さすがアメリカと思いつつ、時代が変わる感覚について行けない不安みたいなものも感じ始めていた。今でこそ自分自身のキャラクターそのものと言えるアナログ人間としての感覚は、もうこの辺りで固まっていたようだ。82年に発売されたCDの音が気に入らず、プレイヤーも1986年まで買わず、アナログ盤を買い続けていたことは正解だったと言うべきなのだろう。

 

この年、最も聴いたレコードはおそらくジョー・ジャクソン「ボディ・アンド・ソウル」だろう。ソニー・ロリンズを模したジャケットが粋な素晴らしいアルバムである。自分は発売直後に購入して散々聴いたが、すぐには好きになれなかった。82年にリリースされた「ナイト・アンド・デイ」とそこに収録されていたヒット・シングル「ステッピン・アウト」が大好きだったので、新盤のテイストの違いに戸惑っていたのだろう。ただし、レトロなテイストに塗れながらも独自の先進性に満ちたこの盤は、後々自分の人生における大事な一枚になっていく。たばこ好きで常に息を切らせているようなこの男が好きなわけではないが、彼の音楽は常に不気味なまでのクオリティを持っており、いまだに目が離せないでいる。

 

聴くもののバリエーションは広がる一方だった。1984年と言えばヴァン・ヘイレンの大ヒット・アルバムは当然のように聴きまくったし、ヘヴィ・メタルという音楽で最高のチャート・アクションを見せたクワイエット・ライオットもよく聴いていた。また、それまではあまり聴かなかった邦楽にも手を出し始め、この年の夏はサザンオールスターズ「人気者で行こう」とヒット・シングル「ミス・ブランニュー・デイ」はそれこそヘヴィ・ローテで毎日数回聴いていたように記憶している。ユーミンの「VOYAGER」は友人からカセットテープをもらったものだったが、これも随分聴いたものだ。当時の鬱々とした気分が蘇ってくるからか、サザンとユーミンはその後あまり聴きたいと思わなくなってしまった。たまに耳にするとやはり物思いに耽ることになるので、時間が足りない昨今は積極的に聴かないものとなっている。

 

1984年」といえばジョージ・オーウェルのディストピア小説「1984年」という人間は多かったのだろう。アップルコンピュータが発売したマッキントッシュのCMも反共主義的色彩が濃いものだったし、クワイエット・ライオットのミュージック・クリップも似たようなシーンが出てきた。一方でジョルジオ・モロダーが1927年制作のサイレント映画「メトロポリス」を再編集し、独自のサントラ盤を付して公開したのも1984年だった。このサントラにはフレディ・マーキュリー、パット・ベネター、ジョン・アンダーソン、ラヴァーボーイ、ビリー・スクワイアなどといった連中が楽曲を提供しており、なかなか侮れない一枚である。

 

また、この映画、「Yoshiwara」という歓楽街が出てきたりすることもあって、もっとディテールを研究してみたいものだが、なかなか映像を入手する踏ん切りがつかない。元々1927年にドイツでプレミア公開されたときは210分あったそうだが、アメリカで公開されたときは114分、日本では104分にまで短縮されている。大戦を経ていることもあってか、フィルムの多くが失われており、1984年のジョルジオ・モロダー版は90分しかない。いまだに修復作業をやっている好き者たちがおり、2008年には150分バージョンが公開され、いまだに作業は続いているという。直前にSF映画の金字塔「ブレードランナー」を観てしまい、この古臭い無声映画を観る気にはなれなかったが、その当時の鬱々とした空気感には嵌っていたように記憶している。さて、次週のイベントは「Music & Talk “The 1984”」、どこまで当時の空気感を蘇らせることができるだろうか?お楽しみに。

 

 

 


   

         
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