0226 ポエトリー・リーディングはお好き?(2019.08.03.

どうも新しいものに目が行かなくなってしまった。アナログ・レコードに拘って聴かせるカフェを営んでいるのだから仕方がないとも思うが、最近は若手でもアナログでリリースしてくる。理由にはならない。J-WAVETOKIO HOT100はよく聴いているので、新しいものを知らないわけではないが、なかなか興味を持って盤を購入するまでには至らない。リリースされれば必ず買う特定のアーティストのものを(惰性で)買うにとどまっている。エド・シーランは買わなきゃと思っているが、そのポチっと購入の意思を示すことが面倒という困った状況なのだ。

 

カフェのレコードは頑張って整理しているが、自宅のレコードがまずい状況で、カフェと同様にファミリー・ネームのABC順に並んでいるはずだが、見つけられないことが多い。カフェに行っているのかもと思うと、それ以上探せなくなってしまうということもあるが、未整理棚は確実に増殖している。その数十枚が意外なほど整理行動に制約を与えている。ABC順に並べるという単純な作業の手を止めてしまう面倒な盤が多く並んではいるが、イベントが終了するたびに持ち帰る盤もとりあえずここに収めるので、意外に雑多なものが並んでいる。また、目が悪くなったということも原因の一つになっている。昔は背文字を見ることが今ほど辛くなかった。また背の色柄で盤を見つけることができるのは長年同じ趣味を続けてきたことによる特殊(?)能力ではあるが、そういった脳みそに染みついた記憶だけが頼りみたいな状況にむしろ凹んでしまう。如何せん聴くものも、古いものがだんだん心地よくなってしまったことは否めない。

 

最近、詩や歌詞に目が行っている。エルビス・コステロが2013年にリリースした盤のデザインがポケット・ポエッツ・シリーズの表紙デザインに対するオマージュである、ということを発信したがために詩が好きと思われてしまったようだ。ネイティブなイングリッシュ・スピーカーではないので、英語の詩は敷居が高い。それでも通訳的なことを20年も続けていた身として、一般常識の範囲内でギンズバーグなどは目にしている。このビートニクスの代表的な詩人の作品に皆が何を見出しているのかは気になるし、自分なりの感想も持っていたいとは思う。しかし、少々遅れてしまった世代の自分には、直截訴えかけてくるものがないというのが正直なところでもある。

 

自分は1960年生まれなので、もっともっと後の世代といってもいいのだが、如何せん10歳で洋楽を聴き始め、中学生になる前には母親の仕事の手伝いをして得た金でレコードを買い始めている。恐らく同年の人間とは聴いてきたものや思い入れの深いものが違うはずである。ビートルズが解散した直後の空気感が、自分の音楽に関する好みに大きく作用したことと同時に、熱かった1969年の分析等が掲載された雑誌が自分のカルチャー感覚に多大な影響を与えているのである。勿論極東の島国のガキが入手できる情報なんてたかが知れている。映画も同じことだが、やれヒッピーのコミュニティがどうのと言われても、ヒッピーが身近にいるわけではなかった。だいいちヒッピーには全く惹かれなかった。

 

何度もここで書いていることだが、音楽の入口は母親に買ってもらったモンキーズのベスト盤だったり、映画「大脱走」のテーマ(マーチ)だった。最初に自腹で購入したLPT.REXの「ザ・スライダー」であり、その次がサイモン&ガーファンクルのベスト盤である。いまだに擦り切れず聴けているが、それこそ毎日毎日繰り返し何回も聴いた盤である。レコード・ジャケットも日々隅から隅まで嘗め回すように見ていたものだ。これに加えてグランド・ファンク・レイルロード「アメリカン・バンド」やELP「展覧会の絵」なども同様のディープさで接した盤である。この辺の曲は歌詞も繰り返し読んでいた。中学の英語は楽勝だったが、果たして本質を理解していたか、今となっては疑問符つきといったところである。

 

自分はポール・サイモンの書いた歌詞が好きだった。サイモン&ガーファンクルの曲でアメリカの大地を旅する夢を随分見させてもらった。韻を踏んでいることやそのために置かれた人名の部分など、当時は分かっていなかったと思うが、声に出して読んだとき、実に流れるのである。次の言葉が素直に発せられる心地よさが、まだ真っ白な自分の脳みそに刻まれていったことにより、英語に対する苦手意識は持たずに済んだように思う。その頃は感覚的にしか理解していなかったと思うが、数年後、「時の流れに Still Crazy After All These Years」というアルバムに接したとき確信となった。このアルバムは曲も好きだがむしろ歌詞が大好きで、何度も声に出して読んだり歌ったりしたものだ。簡単な単語ばかりの歌詞でここまでの世界観を表現する彼の才能は、時の流れとともに実感となっていった。

 

先日、アレン・ギンズバーグの「吠える」を何年ぶりかで読んでみた。いやはや、読み辛い。何とも流れないし、馴染みのない単語の多さに呆れてしまった。そんなタイミングで、カフェの常連客から「この店ならギンズバーグのポエトリー・リーディングなんかやると合いそうだね」という話になり、「まずはオーナーがやらなきゃ」などと焚きつけられたのである。場を提供するのが自分の役割だということを繰り返し言ってもなかなか理解されない。笑顔で「丁重にお断りいたします」と言いつつ、「誰かやらないかな」などという話になっている。60年代のカウンター・カルチャーを賑わせた音源はいくらでもある。音楽イベントとコラボレーションするかたちで、どなたかポエトリー・リーディングをやりたいという方、いらっしゃいませんか?

 


   

         
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