0227 HOWL2019.08.10.

我がGINGER.TOKYOで、映画監督の小田浩之さんと写真家の福崎幸治さんによる二人展「HOWL」が始まった。自分のカフェでできるイベントとして、これほど馴染みのいいものはないと思えるほど、空間にしっくりとハマっている。常設展示したいと思うほどだ。猛烈にお洒落で、知的で、背景に絡むサブカル関連の諸事をいろいろ語りたくなる。どことなく懐かしくもあり、自分の憧れた世界の空気感が閉じ込められているような写真の数々が並んでいる。正確には「憧れ」とは違うものかもしれないが、自分がティーンエイジャーの頃夢中になっていたメディアに溢れていた情報と同じテイストがあるのだ。

 

入口付近は小田さんの大判の作品が目を引く。サム・フィリップスのサン・スタジオの中から外にカメラを向けた写真が妙に印象的だ。ロックンロールの聖地でもあるサン・スタジオを語る際、切り離せないエルヴィス・プレスリー関連の写真が並んでいる。どれもどこかひっそりとした空気感を孕んでいて、ついつい見入ってしまう。音楽的には「バーニング・ラブ」だけがリアルタイムの自分にとって、エルヴィスは昔憧れた世界の住人というだけで、聴き馴染んだ存在ではない。それでも常に身近に居たような気がしている。フォルクスワーゲン・ビートルやバドワイザーのネオンサインのような、レトロ・アイテムと同様の存在だったのかもしれないが、ポップなインテリア的エルヴィスは、ウォホールのポスターに代表されるよう、時代を象徴するアイコンなのである。実は7インチ盤も10インチ盤もいっぱい所有しているが、ほとんどのものが未開封のままなのである。自分にとってのエルヴィスは、まさにそういう存在なのである。そのエルヴィスがいる空間は、やはり落ち着けるのである。

 

福崎さんの写真は、もうそれはそれはオシャレで、ぱっと見ニュー・ヨークと判る何かしらが切り取られている。最初に目が行ったのは、チェルシー・ホテルのサインを見下ろす一枚だ。ニュー・ヨークのカルチャーを語る上で、決して外すことはできないこの古びたホテルは、かつてボブ・ディランやジャニス・ジョプリン、チャールズ・ブコウスキーやアレン・ギンズバーグといった連中が棲むように長期滞在していた。トム・ウェイツもパティ・スミスもいた。高感度な人間が交流し、そこからアートが生まれ、ニュー・ヨークの先端的カルチャーが育まれた聖地だ。他の写真も、いかにもニュー・ヨークといった作品ばかりで面白い。見事に切り取られた都会の光と影、音はないのに雑踏を感じさせるヴィジュアル、どこか緩んでいたカフェの空間が引き締まる一連の作品が嬉しい。元からそこにあったのではと思えてしまうほど座りもよい。

 

今回の展示で非常に面白いと思っているのが、全く解説がないことである。写真の背景にあるストーリーなどを知ればしるほど面白さも増すだろうが、そこは見る側に任されている。イベントのタイトルはギンズバーグからとられた「HOWL」となっている。その詩を知らなければ分からない部分があるのかと一瞬不安にもなったが、そんなことはない。恐らくギンズバーグの名前すら知らない若い人が見ても面白いだろう。自分なりに感ずるものをその中に見れば、それはそれで面白く見られるのである。アートとは、本来そういうものかもしれない。作者の意図したものが100%ではなく、そこに見る側の解釈が加わって一つの作品を成す。音楽だって、TPOで随分聴こえ方が違ってしまうではないか。同じことがヴィジュアル・アートにも言えるようだ。

 

余計なお世話かもしれないが、自分が所有していたポケット・ポエッツ・シリーズのアレン・ギンズバーグ「HOWL」も手に取れるように置いておいた。そもそもポスター自体もポケット・ポエッツへのオマージュになっているし、ビート・ジェネレーションに憧れた(そして挫折した)世代が見れば、おやっと思う仕掛けがいろいろある。ついでにエルヴィス・コステロのCDも置いておいた。こちらもジャケット・デザインがポケット・ポエッツへのオマージュとなっている。そしてエルヴィス・コステロのアーティスト名は当然ながらエルヴィス・プレスリーからつけられているわけで、一巡して繋がっていく。そういう意味では、パティ・スミスのレコードも持ち込んでおかないといけない。語らないのと語れないのは大違い、アーティストが在廊していない場合は、空間のオーナーがある程度は語れないといけないのだろう。

 

昨今の不安定な国際情勢のもと、ツイッターなどでは攻撃的な言葉ばかりが飛び交い、全く建設的な議論ができる空気がない。言論の自由・表現の自由を口にするまでもなく、平和な世の中でなければアートは楽しめない。また、そういった部分を抜きにして、アートそのものを楽しむことを忘れている表現者も多い。前述の如く、アートは表現者だけで完結するものではない。受ける側の感覚も加わって作品を成す。考えさせるレベルや自覚を呼び覚ますレベルを超えて、受け手を不快にさせるものはアートとは呼べない。自分は、このタイミングで、この「HOWL」という展示が開催できることが非常に嬉しい。音楽も含め、アートが持つメッセージは強力なものがある。しかしそれ以前にアートが好きという感覚を大事にしないと、閉塞感だけが満ちた嫌な世の中になってしまう気がしている。まずは自分が手放しで楽しめるアートに囲まれてみて、もう少し自分自身を見つめ、考えてみたいと思う。

 


   

         
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