0231 亡き王女のためのパヴァーヌ(2019.09.07.

母親が亡くなった。音楽夜話なんぞ書いている場合ではないと言われるかもしれないが、如何せん他にできることがない。通夜までは時間があるし、店はスタッフが2人出勤する予定の日だったのでお任せだ。昨日、早朝の呼び出しを受け駆け付けたが、結局誰一人、間に合わなかった。特に苦しみもせずに眠るように逝ってしまったということだ。最後まで自由気ままで、実におふくろ様らしいという気もした。今日が6年前に亡くなった父親の命日なので、お迎えに来ていたのだろうか。マッタクもって自由人なので、思い残すこともなかろう。なかなかいい人生だったのではなかろうか。長男一家とは仲がよく、一緒に温泉旅行などもよく行っていたようだが、自分とはあまり反りが合わず、一定の距離を置いての付き合いだった。最後の最後までよく面倒を見てくれた兄嫁に感謝するしかないが、こういった家族関係も本人が望んでいたのだからこれでいいのだろう。

 

我が両親はなかなかクセのある夫婦で、自分が就職した時点で「もうお前の面倒は見ない、お前も我々の心配は必要ないから出ていけ」と突然言い放ったのである。こちらも次男とはそういうものかと思い、「はい、そうですか」と家を出たわけだが、特に何ら問題はない。それ以来30数年、近所に住みながらも一定の距離を保った付き合いを続けたというわけだ。父親とは時々食事をしたりもしたが、母親は一年に一度、正月に顔を合わせる程度だった。如何せん夫婦揃って公務員だった次男に向かって「公務員なんぞ盗人猛々しい」と言って憚らず、みのもんた的解釈で高齢者福祉制度の不満をぶつけてくる。正月以外近寄らなくなってしまったのも致し方ない事情なのである。

 

またそれ以上に醒めた親子関係になった理由として、父親が倒れて入院していた時期に、自分はかなり無理をしてでも見舞いに行っていたのだが、とうとう病室で母親と遭遇したことは一度もなかったということが挙げられる。父親が亡くなった時期は自分も体調が悪かったもので、その後はさらに足が遠退いたような距離感になってしまった。母親は気ままに銭湯などへ出かけたり、旧友と会って食事をしたり、それなりに楽しんでいたようだ。結局のところ、それ以上でもそれ以下でもない。子どもの頃の記憶以外は、さほど共有するものもない親子というわけである。ただ唯一、音楽好きだったということだけが例外的に共有した記憶として残っているのである。

 

母親は昭和12年生まれにしては珍しい人間ではなかろうか。バスケットボールと陸上の短距離で国体にまで出ているし、洋楽に関しては知識もあったし、好みもしっかりしていた。サンタナとウォーが大好きで、何度かLPからカセットテープにダビングして持っていった記憶がある。ライヴにも何度か一緒に出かけた。サンタナに関しては、来日するたびにチケットをとって一緒に行ったので、自分は特別好きでもないサンタナの来日公演は何度も観ているのである。1981726日の田園コロシアムで開催されたライブ・アンダー・ザ・スカイに、ハービー・ハンコックとサンタナのスペシャル・バンドで出演したときにも一緒に行った。「哀愁のヨーロッパ」などの定番曲をジャジーに崩しながら演奏することにご不満だったか、ステージに向かって「しっかり演奏しろー」と叫んでいたのが忘れられない。その他には、よみうりランドで開催されたウォーのライヴのときには、いつの間にかウォーのメンバーと一緒に写真を撮ってもらってきていたり、ZZ Topのライヴでは結構楽しめたようでかなりご機嫌だったことも懐かしい。まあ、そんなわけで自由人の母は自由人だったのである。

 

今年の正月にはまだ元気におせち料理やお雑煮を作って振舞ってくれたが、その後一月もしないうちに具合が悪くなったと兄嫁から連絡が入り、入院したと聞き、病院が変わったと聞き、「もうそろそろ」という電話を兄貴からもらってようやく見舞いにいった時点では、もう自分のことが分かっているのかという状態だった。病院暮らしも半年ほど、窮屈な病床が短期間で済んだのは自由人にとって不幸中の幸いだったのではなかろうか。

 

自分は人を悼む曲を知らない。唯一思い浮かんだのが、デオダートのセカンド・アルバムに収録されていた、モーリス・ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」だった。しかしこの曲も「葬送の哀歌」ではなく「昔、スペインの宮廷で小さな王女が踊ったようなパヴァーヌ(舞踏曲)」なのだそうだ。今回SNSで店の営業時間変更をお知らせするときに、「デオダート2」のジャケットを開いた部分の写真を使用したのはこのためだったが、少々勘違いだったのかもしれない。しかし落ち着いた美しい曲なので、さほど問題はなかろう。やはり通夜でサンタナとウォーでも流してみるか。本人がいちばん喜ぶのはそんなところだろう。自分自身が決して体調がいいわけではないので、せいぜい親より先に死ななかったことを親孝行と思うしかない。人生は意外なほど短い。自由人が気ままに生きられるのは、平和であってこそ。SNS上では不幸な時代だという物言いが溢れているが、現代の日本は70年以上も無血状態が続いているのだから、案外そうでもないと思っている。おふくろ様は、子供の頃に戦争を経験しているが、案外いい時代を生きたのではなかろうか。

 


   

         
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