0237 歴史的な一日に聴く一枚は(2019.10.22.

令和天皇の即位礼に関する報道番組を観ながらいろいろ考えた。二代続いて高齢になってからの即位が意味するところは、やはり昭和が長すぎたということか。重要な皇室行事が平安時代のスタイルを踏襲していることだけでも悠久の歴史を思い知らされるが、この島国が永く続いていることは、奇跡的なことなのかもしれない。昨今は特に酷い自然災害が続いているが、地震が多い火山列島である上に大陸の東にあって台風が到達し易い位置関係でありながら、自然と共存してきただけでも凄い。それに加え、国際情勢を踏まえると、戦略的に最前線の要衝になりがちな位置関係でありながら、日本という独立国が続いているのだ。それだけでも相当のバランス感覚が求められそうだが、先の大戦による壊滅的なダメージからもしっかり復興しているのだから、やはり凄い国なのかもしれない。現政権の不甲斐無さがじれったくもあるが、自分がこの国の一員であることを誇りに思う気持ちは常にある。

 

さてそんな歴史的な一日となる令和天皇の即位礼正殿の儀の日は祝日だが、ノンビリはしていられない。早朝から溜まっていたPC作業をこなし、未整理のレコードをラックに仕舞い、そしてこうして音楽夜話なんぞを書いている。昨日までは休業するつもりはなかったが、悪天候もあり、疲れも溜まっていたので思い切って休んでみたが、これは正解だったようだ。とにかく時間が足りないということばかり言いたくはないが、どうやら自分の能力を超えた作業量を抱えているようだ。今日一日で少しは解消されるかもしれないが、やはり何かしら見直しが必要な時期にきているように思う。

 

それでも長年継続してきたことをあっさり諦めるような気はしない。音楽夜話も千話を目指して最終コーナーをまわったところまできた。遅れがちではあるが、何とか続けたいと思う。そこで少し考えた。レコード・ラックに眠っているレコードで、まだ未聴のものや普段あまり聴かないものを順番に取り上げていけば、まだまだ余力があるはずだ。手あたり次第に引っ張り出してみて、見慣れぬ一枚に当たった。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのライヴ盤「マクシス・カンザス・シティ」である。再発盤だが、シュリンク付きの未開封盤だ。

 

1970年代初頭、リアルタイムでロックを聴いていた人間でヴェルヴェット・アンダーグラウンドを高く評価していた人間は少なかったと思う。ギター・サウンドを中心にしたブリティッシュ・ハード・ロックが登場し、全盛期を迎える時期である。自分がヴェルヴェット・アンダーグラウンドの音をキチンと聴いたのはパンクの荒波が去ってニュー・ウェーブが全盛期の頃だったと思う。その時でさえ、まだそのよさが理解できたわけではない。バナナのアルバムはウォーホルのデザインが好きで室内に飾っていたりしたが、音が好きなわけではなかった。ルー・リードの「ベルリン」を1990年代に入ってから聴いて、初めてそのよさに気がついた程度で、決してファンではない。デジタル・メディアの時代になってからも、さほど明確な目的を持たずにアナログ・レコードを買い集めていたので、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの盤もいくつかは含まれていた。そして、「マクシス・カンザス・シティ」をいつどこで購入したかは全く憶えていない。

 

この盤の音源は友人からカセットテープをもらって聴いている。緩いギターの音がよかったりもするのだろうが、昔なら絶対に聴かないタイプの音だということがはっきり判る。レコードの回転がよれているのかと思わせる箇所もあり、決して褒められた録音ではないが、意外とクリアに各人の楽器の音とヴォーカルは聴き分けられる。ライヴ盤にしては分離がいい方だ。当時のマクシス・カンザス・シティはハイセンスな文化人が集う、ニュー・ヨークの最先端のハコだったはずだが、全く熱気というものがない。まばらな拍手がかえってリアリティを伴って鳴ってくれる。ニコがいないことが寂しくもあるが、むしろルー・リードのバンドであることが際立っており、その後を知る身としてはこれでよしという気にもなる。

 

1972年にリリースされたこの1970年の音源を収録したライヴ盤は、英米ですらチャート・インすることもなく時代からスルーされてしまったような一枚だが、好きな人間は好きだ。74年にも69年の音源をライヴ盤としてリリースしているあたり、拘りはあったようだが、こちらも米国で最高位が201位、英国はまたチャート・インを逃すという惨憺たる結果である。さて、それでも自分は今この盤が気になって仕方がない。時代の空気感を蘇らせることを目的としたイベントを続けており、次回は1970年なのである。この盤に封じ込められているのは、70年当時のマンハッタン、特にパーク・アヴェニュー・サウス213界隈で、世界で最も高感度な人々、アンディ・ウォーホルやデヴィッド・ボウイといった連中が、最先端のアートとして目の当たりにしていたものなのだ。極東の島国の小僧が理解できるはずもないものなのかもしれない。しかし、自分自身を見つめ直し、当時の記憶を手繰る素材としてはなかなかに面白い。

 


   

         
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