0253 ヒプノシスはお好き?(2020.02.10.

レコード・ジャケットに関するトークイベントが無事終了した。自宅から変型ジャケットを持つ盤や貴重な盤を大量に持ち込んで語り倒したわけだが、準備の途中から一回では終わらないかもという気になり、内容を絞り込むことにした。また普段と違って曲をフルフルでかけることはせず、話の流れでどうしても必要な曲だけかけながら語るようなスタイルにした。さらにジャズはほとんど触れない方針にし、フランシス・ウルフとウィリアム・クラクストンの2人の写真家だけ少々時間をかけて語った。本来ならバンドのアイデンティティに関する部分で、スタッフの一枚目と二枚目のデザインについて語ったりもしたかったが、ジャズ関連は別の機会を設けることにして割愛した。結果的に1970年代のロックを中心としたものになり、自分の好みの真ん中あたりに絞り込んだことになり、非常に楽しめた。果たして参加者の皆さんは楽しかったのやら?そもそも「大学の講義みたい」と言われるイベントを続けているわけで、今回はその度合いが少々高まったことになってしまった。水曜夜と土曜夜の2回、同じ内容で話したこともあり、音を出した盤は約10枚、大体2時間半しゃべったことになる。

 

準備段階では、次回はジャズのアルバム・ジャケットについて語るかとも考えていたが、途中で方針変更し、次回は「ヒプノシスを聴く」というお題にして、ヒプノシスがジャケットを手掛けた盤を30枚ほど聴くことにした。ストーム・トーガソンを中心としたこのデザイン集団が、1970年代のロックを語る上で重要な存在であることは間違いない。把握している370タイトルほどのうち、半数以上は所有しているが、そのほとんどが自分の愛聴盤であることを考えると、やはり3時間くらいかけて聴きながら語りたいではないか。

 

とにかくピンク・フロイド、レッド・ツェッペリン、ウィッシュボーン・アッシュ、10cc、バッド・カンパニー、ブランドXなどの主要盤のジャケット・アートを手掛けているというだけでも十分だが、その他にも面白い盤をいろいろ手がけている。意外なところでは松任谷由実の「昨晩お会いしましょう」と「VOYAGER」のジャケットもヒプノシスなのだ。この辺は海外のマニア・コレクターにとって難関となっていることだろう。加えてユーミンのシングル「夕闇をひとり」もヒプノシスのデザインなのだが、この辺は日本人でも難しいところかもしれない。「昨晩お会いしましょう」は草っ原にトレンチコートの後ろ姿だが、「夕闇にひとり」は岩場に立っている。これを対比して眺めるだけでも結構面白い。

 

自分はこれまでヒプノシスの作品とは正面きって向き合ってきたとは言い難い。あまりに難解で好きか嫌いかすら分からないものも多い。40年以上眺め続けてきたピンク・フロイドやレッド・ツェッペリンのアルバム・ジャケットは、もう音のイメージと完全に一体となっているので切り離して考えることができないレベルだが、その他のロジャー・ディーンがやらなかったイエスの2枚や初期ELO、ブランドXの諸作などは「だから何?」という感覚しか持てない。結果的に好んで集めているわけではないが、中身が好きなものはしっかり持っているという程度に留まっている。決してヒプノシス・コレクターではない。それでも3時間のイベント一回程度には十分なマテリアルが手元にあることは事実で、それなりに楽しい内容になりそうだ。

 

何はともあれ、ようやく出番がくるかという盤がいくつかある。ウィッシュボーン・アッシュに関しては、非常に好きなバンドであるにもかかわらず、これまでイベントでかけたことがない。代表曲・人気曲でもヒット・シングル曲があるわけでなし、一曲一曲が長めということもあってかけ難い。増してや時代を象徴するようなものではない。それでも「永遠の不安 There’s The Rub」など大好きな盤だし、「巡礼の旅 Pilgrimage」や「百眼の巨人アーガス Argus」などの初期の盤はいずれも何回聴いたか分からないほど好きな盤である。ここらは選曲に迷うことになりそうだ。ブランドXやジェネシスも同様、どの盤からどの曲を選ぶかは相当悩むことになりそうだ。

 

しかしこうして準備に入る前の段階で、既にイベントの傾向が見えてくる気もする。音の傾向があるはずはないと思うが、全くないわけではない。やはり1970年代の英国が中心にあることは絶対で、そこにある湿り気や生真面目さ、シニカルな独特の笑いなど、国民性をそのまま体現しているような気すらしてくる。そもそも今回やった「Jacket!! Jacket!! Jacket!!」の中でも語ったことだが、アナログ・レコード初期の文字情報で中身を紹介しようとした宣伝的意味合いを含むアルバム・ジャケットと違い、1970年代の多くのジャケットは既にパッケージ・メディアの入れ物以上の存在、中身の音と併せてイメージを作り上げるアートになっているのだ。音を担うアーティストはまちまちでも、ビジュアルを担うアーティストが共通していれば、そこには通底するテイストや雰囲気といったものが醸し出されているのである。やはり1970年代の音楽を語る上で、ヒプノシスを外すことはできない。むしろヒプノシスを語ることで、1970年代の雰囲気が味わえるというものではなかろうか。

 


   

         
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