0263 お好きなはキーボーダーは?(2020.04.18.

何回か書いたことかもしれないが、ブリティッシュ・ロックの名盤は意外なほど少人数が入れ代わり立ち代わり作っていたように思うことがある。名ギタリストは結構な数いるのだが、好きな盤で聴くことができるキーボーダーとなると、ニッキー・ホプキンス、イアン・スチュアート、ラビット、イアン・マクラガン、マックス・ミドルトン、クリス・ステイントン、ポール・キャラック、ゲイリー・ブルッカーそしてジュールズ・ホランドあたりが思い出される。いろいろ渡り歩いたとなると、リック・ウェイクマン、パトリック・モラーツ、ジョン・ロードあたりもいるが、特定のバンドに限定されるし、ロニー・レインやジョン・ポール・ジョーンズ、ポール・マッカートニーのようにベースと二刀流(マッカートニーはギターも弾くか…)という人間もいることが面白いが、この連中も特定のバンドでほぼ完結する。デヴィッド・クロスもトニー・バンクスもキース・エマーソンも同じく、他流試合的セッションで面白いものは見当たらない。

 

とにかく自分が最も好きなキーボーダーとして直ぐに思い浮かぶのはニッキー・ホプキンスなのだ。イアン・マクラガンもフェイセズ好きなので当然気になるが、彼の面白いセッションといえば、ボブ・ディランやブルース・スプリングスティーンやレニー・クラヴィッツといったあたりで、意外性もあって楽しい。彼の場合は、バンプ・バンドの活動も好みの音で、2010年代のアナログでリリースされた音源はマスト・バイという扱いになる。ワーリッツァーのエレピによる独特の音が好きということもあり、気にはなる。しかし、どういうわけか、本音ベースでニッキー・ホプキンスにはかなわない部分があるように感じてしまっている。

 

ニッキー・ホプキンスに関しては、「夢見る人 The Tin Man Was A Dreamer」という大好きなアルバムがあり、それだけで十分とも言えるほどだが、ここではミック・テイラーとジョージ・オハラという変名で参加しているジョージ・ハリスンのギターを聴くことができる。CD化されていない1975年の「No More Changes」には、ジャニス・ジョプリンに代わってビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーのヴォーカルに就いたキャシー・マクドナルドが歌っているが、こちらはまあまあの出来、「夢見る人」が断然自分にとっては好みの音となる。

 

ニッキー・ホプキンスのセッションワークをチェックしていくと、ロックの歴史を感じさせる。古くはザ・フーのデビュー・アルバム「マイ・ジェネレーション」やキンクスの数枚にも参加しているし、ビートルズの「レヴォリューション」やジョン・レノンの「イマジン」「心の壁、愛の橋」でも弾いている。ジョージ・ハリスンやリンゴ・スターのアルバムでも弾いていれば、何と言っても、第1期ジェフ・ベック・グループでの活躍は一つのハイライトである。ジェフ・ベックが全米ツアーを途中でキャンセルしてしまった事件は有名だが、その時一人アメリカに残り、サンフランシスコのミュージシャンと交流を深める。ジェファーソン・エアプレイン、スティーヴ・ミラー・バンド、クイック・シルヴァー・メッセンジャー・サービスなどのアルバムに参加し、英国人のはずなのに、サンフランシスコ・サウンドの確立に貢献したということになっている。現在のニュー・オリンズ・サウンドを背負って立つ名キーボーダー、ジョン・クリアリーも英国人なので、この辺は移民の国アメリカ故の事情か。

 

ローリング・ストーンズとの交流に関しては、「ビトウィーン・ザ・バトンズ」から始まり、「ベガーズ・バンケット」「スティッキー・フィンガーズ」「メイン・ストリートのならず者」などに参加しており、ミック・テイラーとの親交も納得だが、如何せん絶頂期のアルバム群で弾いているのだから堪らない。余談だが、ライ・クーダー、ミック・ジャガー、ビル・ワイマン、チャーリー・ワッツといっしょに、「ジャミング・ウィズ・エドワード」というあやしいジャム・セッション音源もリリースしているが、このエドワードはニッキー・ホプキンスの愛称だという。スタジオでの空き時間の貴重な記録という意味でマニア必携だが、こういうところにしっかり居るあたりがこの人らしいとも思う。また、「ジャミング・ウィズ・エドワード」のジャケットのイラストはニッキー・ホプキンスが描いたものだが、彼は漫画が大好きだったということもあって、何とも微笑ましい。

 

彼は元々クーロン病という腸の病気を抱えており、1994年に50歳という若さで亡くなっている。1979年には「ホット・サマー・ナイト」の大ヒットを持つナイトでも印象的なピアノを弾いているし、1980年の浜田省吾「Home Bound」にも参加しているが、その後80年代はほとんど活動できていない。最晩年はフジテレビのドラマに音楽を提供したり、本木雅弘、吉岡秀隆、安田成美が出演した「ラスソソング」という映画のサントラも手がけているが、このあたりが最後の仕事というのは意外だった。70年代前半までの活躍を考えれば、忘れようにも忘れられないキーボーダーだが、いつの間にかシーンから消えていったような彼の活動歴は悲しくていけない。

 


   

         
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